花となる ~初恋相手の許婚に溺愛されています~
秋桜

おやすみなさい

十月になれば秋の気配も濃くなり始める。空き地に秋桜が咲いていて、風に吹かれて揺れている。幼い頃、秋桜で花占いをして、大泣きしたことを思い出す。秋桜の花弁の数が決まって八枚だなんて当時のわたしは知らなくて。翔哉くんはわたしのことが嫌いなんだ、と、泣いたわたしに、既に小学生だった翔哉くんが、好きだと伝えてくれた。
物心ついたときには当たり前のように一緒にいて、許婚という関係性であるがゆえに好きにならなければならない人でもあった。
でも、そんなの関係なく、わたしは翔哉くんのことが今日も大好きで、大好きで、会いたいと強く思ってしまう。
この恋に、翔哉くんの愛に、溺れている。
鞄の中に入れたままのスマートフォンが通知音を鳴らす。立ち止まって、スマートフォンの画面を確認すれば、心臓が少し早く動いた。

---熱出た

翔哉くんからのメッセージ。今日は火曜日だからお仕事に行っているはずで、会社で体調を崩してしまったということだろう。

---今から帰る

連続でメッセージが届く。わたしは家へ向かって歩いていたけれど、方向転換して翔哉くんの家に行くことにした。翔哉くんは、感染する病気だったらうつしてしまうから来なくていい、と言うだろうけれど、そう言いつつも身体が弱っているときにひとりなのは心細いだろうし、わたしにできることがあるならば、しっかりと行いたいと思ったから。もっとも、それは言い訳であって、翔哉くんに会いたいという気持ちが強く出てしまって、抑えきれないというのも大きいのだけれど。
いつも翔哉くんの車で通る道を今日は電車と徒歩で。翔哉くんのことを考えていられる幸せよりも、体調を崩しているということについての心配が胸の大半を占める。
翔哉くんの家の最寄り駅に着いて、翔哉くんとよく行くスーパーにひとりで寄る。スポーツドリンクとレトルトのお粥、それから熱を冷ますシートを買う。念のために風邪薬も買っておこう。翔哉くんが風邪をひいたときに飲む風邪薬のメーカーもわかるし。
エコバッグを持って、翔哉くんの家に行く。翔哉くんの愛車はまだ駐車場にない。わたしは合鍵で翔哉くんの家に入る。この合鍵をもらったのは、翔哉くんがひとり暮らしを始めたときだ。そのときわたしは大学生になったばかりで、とても嬉しかったし、ドキドキしたのも覚えている。お揃いで買ってくれたキーホルダーは色が褪めてしまったけれど未だに現役で、翔哉くんの鍵も、わたしの鍵も守ってくれている。
わたしが翔哉くんの家に着いて十五分くらい経てば翔哉くんが帰ってきたようで、玄関のドアが開閉する音がした。わたしは玄関に向かう。

「晴喜、来てくれたんだ。ただいま」
「おかえりなさい。大丈夫?熱、どれくらいあるの?」
「三十七度少し超えたくらい。他の人にうつすと悪いから早退させてもらった」

とはいえ、翔哉くんの平熱が低めなことを知っている身としては、心配になる。そして、きっとわたしを心配させないように低めに伝えているだろうし。

「お昼ご飯は食べられた?」
「食欲なくて、全然」
「薬は?」
「飲んでない」
「お粥準備できるけど、食べて薬飲む?」
「薬は飲みたいけど、何か食べないとだめかな?」
「胃がやられるって聞くよね」
「ごめん、じゃあお粥作ってほしい。全部食べ切れないかもしれないけど」
「いいよ。すぐ作るから、先に着替えて。熱さまシートも買ってあるからね」
「ありがとう」

のろのろと動く姿を見て、身体がきついんだろうなあと思う。こんなに弱っている翔哉くんは久しぶりに見た気がするし、ひとりにしなくてよかったなとも思った。
そんなことを考えながら、わたしはキッチンに向かう。レトルトのお粥を温める準備をする。湯煎と電子レンジ、味やご飯の軟らかさに差はあるのだろうか。いや、ないだろう。勝手に結論を出して、電子レンジにかけることにした。早く薬が飲めた方がきっといいから。耐熱のお椀にレトルトの中身を出し、電子レンジの中へ。その間に水もコップに注ぐ。水とスポーツドリンクを先に持って行く。
パジャマ姿でおでこを冷やしている翔哉くんはぼーっと一点を見つめていた。

「水分、たくさんとってね」
「あ、ありがとう」
「お粥もすぐできるよ。レンチンだけど」
「それでも助かるよ。俺だけだとご飯食べなかったかもしれないから」

テーブルに水とスポーツドリンクを置いたところで、電子レンジに呼ばれてキッチンに逆戻りする。電子レンジの中からお粥を出して、翔哉くんの元へ届ける。

「食べられそう?」
「少しは。こんなに食欲ないの久しぶりすぎて自分でも驚いてる」
「体調を崩すことがそんなにないもんね。翔哉くんもわたしも。まあ、ない方が断然いいけど」
「風邪だったらうつしちゃうから、晴喜、もう帰りなね。でも来てくれて本当に助かった」

いつもならば、ありがとう、の意味を持って触れられる手のひらが、わたしの肌に触れない。それはとても寂しいことだと気付く。大好きな、優しいぬくもりが、伝わってこない。
そして、同様に帰るように告げられたことも寂しい。その言葉は確かに翔哉くんの優しさであるのだけれど、弱っているときにそばにいることを許されない。そんな関係性ではないと思うのだけれど。

「帰らなきゃだめ?」
「風邪だったらうつしちゃうし、晴喜が熱出したら可哀想だし」
「今の翔哉くんの状態も、わたしからすれば弱ってて可哀想だよ」
「その状態をずっと見られたくないし」
「え?」
「だって、かっこ悪いじゃん」

思わず、今更?、と言いかけたのを耐えたことを褒めてほしい。でも、目は見開いてしまったかもしれない。
翔哉くんは弱っている自分をかっこ悪いと思っていて、そのかっこ悪い姿をわたしに見せたくないと思っている。確かに翔哉くんはわたしにとってずっとかっこいい恋人であり、それ以前からずっとかっこいいお兄ちゃんだ。間違いない。でも、かっこいいだけじゃない顔だって知っているし、これからもどんな顔だって見せてほしい。だって、わたしたちは夫婦になるんだから。

「どんな翔哉くんだって見たいよ、わたしは」
「でも」
「今はそんなこと考えてないで、お粥食べて、薬飲んで寝るのが先です」
「これじゃ、どっちが年上かわかんないね」

翔哉くんが笑って、お粥を口に入れる。少し元気が出たみたいで安心する。お粥を完食することはできなかったけれど、半分くらいは食べられたし、薬も飲んでくれた。よかった。

「夜遅くなる前に帰るんだよ」
「今はわたしの心配より自分の心配して」
「まあ、たぶん俺もそんなに寝ないけど」
「いや、薬が効くから寝ちゃうかもしれないよ?」

わたしがわざとそう言えば、翔哉くんはわたしが帰るか心配になったようだけれど、眠くもなってきたようで、ゆっくりと目を開けたり閉じたりを繰り返している。

「ゆっくり寝てね」
「ありがとう。おやすみ」
「おやすみなさい」

翔哉くんが目を閉じて、寝息を立て始めたのを確認して、ゆっくりと頭を撫でる。無防備な寝顔はとても可愛い。年上の翔哉くんに対してそう思うのはやはり愛があるからだ。
いつもわたしの前で頑張ってくれてありがとう。今日はゆっくり寝てね。おやすみなさい。
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