人助けをしたら人気俳優との同居が始まりました

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「じゃあ行ってきます」
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「叶恵、きちんと案内してあげるんだぞ」

 2人に見送られ、しぶしぶ蓮と家を出る。
 でも本当に、山内蓮と見破られないだろうか。
 蓮の恰好は、Tシャツに膝丈のダメージ加工のデニムと、足元はスニーカー。
 いちおうキャップに黒縁メガネをかけてはいるが、見る人が見れば山内蓮だとすぐに分かるような気がする。

「山内さん、それでバレませんか」
「んー、いつもこんな恰好で近くのスーパーとかコンビニとか行くけど、バレたことないよ。それよりも、いいかげんで敬語はやめない?」
「慣れるまでもう少し時間をください。それで、山内さんはどこに行きたいですか」
「その前に、そんな呼び方してるとバレるかもしれないから、何か別名考えよう。あ、行き先はとりあえずスーパーで」

 確かに山内蓮の響きを聞かれたらバレるかもしれないけど、別名って?
 怪訝な表情をしていることに気づいた蓮が、説明を付け足す。

「叶恵さんはさ、俺が山内蓮だから打ち解けてくれないんじゃない? だったら叶恵さんが俺を山内蓮だと意識しないように、まずは呼び方を変えたらいいかなって思って」
「じゃあどう呼べばいいですか」
「そうだなあ……。あ、初恋の男の子の名前は?」
「それって、別の意味で意識しそうな気がするんですけど」

 笑いながら答えて、ふと思い出した。
 初恋の男の子は、隣の家に住んでだターくんだった。
 彼が引っ越してもう20年くらい経つけれど、彼は今はどこで何をしているのだろう。
 両親を亡くして淋しい思いをしていた叶恵のそばに、彼はずっといてくれた。
 あまりにもそばにいすぎて気づかなかったけれど、彼は叶恵の初恋の人だった。
 もっとも、そのことに気づいたのは彼が引っ越してしまってからだったけれど。

「叶恵さんの初恋はいつ? 相手はどんな子?」
「9歳まで隣に住んでた、1歳上の幼馴染みの男の子です。ずっと一緒にいて兄妹みたいに育ったからそのときは初恋って気づかなかったけど、その子が引っ越して初めてあれが初恋だったんだって分かりました」
「そうだったんだ……。その子は今どこで何をしてるの? 連絡取ってないの?」
「取ってませんし、今どこで何をしているかも知りません。でももう20年も会ってないから、会ってもきっとお互いに分からないと思います。そういう山内さんの初恋は?」
「その話の前に、バレない呼び方考えよう。もういっそのこと、太郎とかどう?」
「え⁉」

 まさか2人は自分の初恋の人の名前まで蓮に教えたのだろうか。
 何もそこまで言わなくても、と恨みがましく思っていたら違った。

「ほら、銀行とか役所とかの記入見本でよくあるじゃん。銀行太郎とか、東京花子とか。だから今日から俺は、居候太郎。どう?」
「居候太郎って‼」

 そのあんまりな響きに、叶恵は道端というのも忘れて大笑いしてしまった。

「叶恵さんも、そんな大笑いするんだね」

 心底ホッとしたように、蓮は苦笑する。

「しますよ」
「でも昨日からずっと、あんまり笑ってくれなかったから」
「それは緊張してたからですよ。有名俳優が家にいたら、誰でもそうなると思います。まともに口をきくことなんてできないし、まして大笑いなんてできるはずないです」

 もしかしたらキャーキャー言って飛びついていくような強者もいるかもしれないが、少なくとも叶恵には無理だ。
 そもそも、そんなことをしても許される年齢はとっくに越えてしまっている気がする。

「だからさ、今の俺は俳優の山内蓮じゃなくて、高崎家の居候太郎なんだよ。言ってみれば休みのこの3ヶ月は一般人のプー太郎。って、結局太郎じゃん」

 その一言に、今度こそ笑いが止まらなくなった。
 あまりにも太郎と連呼するのがツボに入ってしまって、叶恵は立ち止まってお腹を抱える。

「……もう、笑いすぎてお腹が痛い」
「俺のこと、少しは身近に感じるようになった?」
「はい。そんなくだらないこと言うとは思ってなかったです」
「くだらないとは失礼だなあ。とにかく俺は今から居候太郎だから、太郎と呼ぶように」
「それはもう決定ですか」
「ん? 太郎はいや?」
「いやっていうわけじゃないんですけど……」

 叶恵の初恋の人の名前が太郎だと知ったら、蓮はきっとまた気を遣うだろう。
 強引なところも多々あるけれど、細かい気遣いができる人だということはもう分かっている。
 そうでなければ、叶恵が大笑いしただけで安堵の声を出すはずがない。
 今は音信不通とはいえ、ターくんのことはいい思い出だし、せっかく蓮が笑わせてくれた名前をいやだというのは気が引ける。
 何より、いやな理由を説明したくない。

「分かりました。じゃあ居候太郎さんでいいですよ」
「だめだよ、居候にさんなんて付けて呼んじゃ。叶恵さんは高崎家のお嬢様なんだから、俺のことは偉そうに太郎って呼び捨てにするように」
「お嬢様って何ですか。それ、時代設定が明治大正ですよね」
「お、よく分かったね。居候とご主人様の孫娘との許されぬ恋。昔の昼ドラとか韓流ドラマでありそうだよね」

 まさか蓮とこんなにくだらない会話が弾むなんて思ってもみなかった。
 居候太郎の効果か、少しは緊張もほぐれてきたのかもしれない。
 考えたら國吉と絹江は、昨日から蓮と今のようなテンポのいい会話をしていたっけ。
 きっと2人は蓮に対して緊張していなかったのだろう。

「よし、そうと決まれば早速練習してみよう。太郎、もしくは百歩譲って太郎くんって呼んでみて。はい、どうぞ」 
「太郎、くん?」
「語尾を上げたら練習にならないでしょう。普通に呼んで」
「太郎くん」
「よくできました。じゃあもう1回」
「太郎くん」
「もう1回」
「って、何度言わせるんですか‼」
「こうやって練習しておけば、俺のことを居候太郎って思い込んでくれて、山内蓮だと思わなくなるんじゃないかなって」

 蓮は蓮なりに、叶恵が打ち解けられるように努力してくれていることが分かった。
 このように細やかな気遣いができるから、あれほど人気があるのかもしれない。
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