人助けをしたら人気俳優との同居が始まりました

3

 そうこうしているうちに、スーパーが近づいてくる。
 あれ? 道案内なんてした覚えないのに……。

「もしかして、このあたりに詳しいんですか。ここまで迷わずいらっしゃいましたよね」
「昨日、自分の荷物を取りに帰ったときに見かけただけだよ。それにテーブルにチラシが置いてあったし。あ、買い物は荷物になるから帰りにしようね」
「買い物って?」
「絹江さんに頼まれた。っていうか俺が買ってくるって言ったんだ。なにしろ居候太郎だからね」

 ニッと笑って、ポケットから出したメモを見せてくる。
 そこには絹江の字で買出しリストが書いてあった。

「今日のおかずは唐揚げだって。俺さ、家庭で揚げた唐揚げ食べるの、相当久しぶりなんだ。だから今から夕飯がものすごく楽しみ」
「結構子供っぽいところがあるんですね。意外です」

 クスッと笑うと、蓮は文字どおり頬をふくらませる。
 それこそ子供のように。

「言っとくけど、唐揚げ嫌いな男子なんていませんから。叶恵さんこそ好きなくせに」
「そんなことまで聞いたんですか」
「不可抗力だからね。絹江さんに晩ご飯のリクエスト聞かれて唐揚げって答えたら、叶恵も大好物だからちょうどいいわねって。別に教えてって頼んだわけじゃないから」

 必死になって弁解する姿がおかしかった。
 なんだか今日は笑ってばっかりだ。

「次はどこに行きますか」
「商店街をぶらぶらしたいな」

 スーパーを出て左手に100メートルほど歩くと商店街の入り口だ。
 その商店街を抜けると駅の目の前に出る。
 つまり目的の定食屋に着くということだ。
 お店をのぞきながらゆっくり歩いていけば、ちょうどいい時刻になるだろう。

「ねえ、叶恵さん。さっき練習して以来、太郎くんって1回も呼んでくれないけど、いつになったら呼んでくれるの?」
「必要なときは呼びます。今は呼ぶ必要がないから呼ばないだけです」
「俺としては居候太郎が気に入ったから、必要なくても太郎くんって呼んでほしいんだけど。ほら、好きな人に名前呼ばれるのって、何か特別な感じしない?」

 叶恵は頷いた。
 小さい頃はターくんにカナと呼ばれるのが好きだったし、彼氏ができたときは叶恵と呼ばれて嬉しかった。

「でもそれって、わりと日本的な感じ方だなって思ったんだ」
「どういうことですか」
「アメリカではさ、初対面なのに向こうから下の名前で呼んでくれって言ってくるんだよ。でも日本人って、基本的にはよっぽど仲良くないと下の名前で呼ばないでしょ。そのせいか、アメリカにいるときは何とも思わなかったけど、日本に戻ってきて名字で呼ばれることにものすごい違和感を感じてた。向こうにいたときみたいに『レンと呼んでください』って何度言いそうになったことか」

 そのような文化の違いを、きっと蓮はたくさん感じているのだろう。
 日本でしか暮らしたことがない叶恵には、それが少しだけ羨ましく思えた。

「そう言ったことはないんですか」
「さすがにないな。叶恵さんは初対面の人に『初めまして、山内蓮といいます。僕のことは蓮と呼んでください』って言われたら、引かない?」
「あー、たしかに引くかも」
「だから逆に、仲良くなって下の名前で呼ばれると嬉しくなるんだろうな」
「でも、太郎って偽名じゃないですか」
「いや。この3ヶ月間、俺は居候太郎が本名だから」

 あくまでも居候太郎だと言い張る蓮に苦笑する。

「やけに居候太郎にこだわりますね」
「っていうより、山内蓮でいたくないんだよ。叶恵さんの家にいると田舎の祖父母の家にいるみたいに、自分が山内蓮ってことを忘れられるんだ。だから居候太郎って名前が気に入ったのかもしれない」

 有名人である分、きっと蓮は叶恵には想像もつかない苦労をしてきたのだろう。
 常に人の目を意識しなければならないなんて、一般人には無縁の環境だ。
 蓮が休みの間だけでも山内蓮でいたくないという気持ちも理解できなくはない。

「分かりました。じゃあうちにいる間は、思う存分居候太郎くんでいてください。私もできるだけ、山内さんだと思わないように努力しますから」
「ありがとう。叶恵さんはやっぱり優しいね」

 蓮に微笑まれ、そのまぶしさに俯く。
 なぜか、蓮といることがまったく苦痛でなくなっていた。
 それどころか、蓮と話すことを楽しいと感じていた。
 商店街を駅に向かって歩きながら、蓮が気になるお店をのぞいてみたり、よく行くお肉屋さんのメンチカツや魚屋さんのお寿司が美味しいことを蓮に教える。
 その間も蓮は飽きもせずにくだらないことを言ってきて、叶恵もノリで返したりつっこんだりした。
 定食屋に着いたのは12時前だった。

「思いのほか時間がかかったね」
「太郎くんが寄り道ばっかりするからです」

 そのころにはもう、叶恵は蓮を違和感なく太郎と呼べるようになっていて、まるで魔法にでもかけられたように山内蓮だと思わなくなっていた。
 幸いまだ席は空いており、2人掛けの席に案内してくれた女将が声をかけてくる。

「おや、叶恵ちゃん、いらっしゃい。久しぶりだね。もしかして彼氏?」
「僕、國吉さんの従兄弟の孫で、昨日田舎から出てきたんです。しばらく國吉さんの家に居候させてもらうので、これからちょくちょく寄らせてもらいますね」

 向かいの席で、平然と嘘をつく太郎に驚く。

「こんな店でよかったらいつでもいらっしゃい。せっかく来てくれたんだから、食後にかき氷サービスするよ」
「本当ですか。嬉しいなあ」
「今日の日替りは生姜焼きか鯖の味噌煮だけど、どうする? ほかのでもいいよ」
「じゃあ僕は生姜焼きにします。叶恵さんは?」
「鯖の味噌煮をご飯小で。……太郎くん、今の嘘はどういうことですか」

 女将が離れていったのを見届けて小声で確認すると、太郎は意外なことを言った。

「近所の人に聞かれたら、そういうことにしておくように國吉さんに言われたんだ。それよりかき氷サービスしてくれるって。よかったね」
「私でも滅多にサービスしてもらえないのに、どうしてですか」
「それを俺に言われても……」

 太郎は苦笑する。
 なんとなく分かった気がする。
 太郎は根っからの人たらしなのだ。
 祖父母しかり、女将しかり。
 おそらく仕事相手も。
 やがて運ばれてきた定食を見て、太郎は歓声を上げる。

「これはすごい。このボリュームで800円は安いね」

 ご飯は大きな茶碗に山盛りだし、メインのおかずもご飯に見合うだけの量がある。
 さらに小鉢が2皿と味噌汁に浅漬けまでついてくる。

「叶恵さん、おかず半分こしよう」
「私はご飯が少ないから、少しだけ生姜焼きください。鯖は半分あげますから」
「たくさん食べないと、大きくならないよ」
「これ以上大きくなったら困ります」

 叶恵はにらむが、太郎はどこ吹く風だ。

「えー。俺としては、もう少し大きくなって、プニプニしてても全然いいけど」
「誰も太郎くんの好みなんて聞いてませんから。さあ、食べますよ。いただきます」
「いただきまーす」
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