人助けをしたら人気俳優との同居が始まりました

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 他愛ない話をしながら食事を済ませ、サービスのかき氷を食べ終えて会計をしようとすると、女将が笑った。

「もうもらってるよ」
「え?」
「さっき、彼がトイレに立ったときに済ませてくれたよ」

 驚いて太郎を見ると、得意げにニヤッと笑う。

「叶恵ちゃん、彼氏いないなら付き合ったら? いい人じゃない」
「いや、それはちょっと……」
「どうして? 食事中すごく楽しそうで、付き合ってるみたいに見えたよ」
「実は今、叶恵さんを口説いてる最中なんです。ってことで、今後とも応援よろしくお願いします。それじゃあごちそうさまでした。かき氷、ありがとうございました」
「ご、ごちそうさまでした」

 さっさと店を出る太郎を追って800円を渡そうとするが、太郎は受け取ってくれなかった。

「せっかくの休みに付き合ってもらったお礼だから、おとなしく奢られてください」
「じゃあお言葉に甘えます。ごちそうさまでした」
「どういたしまして。次はどこに行こうか。あ、叶恵さんの病院って、駅の向こうだったよね。いつも商店街抜けて通勤してるの?」
「歩きのときは通りますけど、今の季節は自転車で行ってるので別の道を通ってます」
「だったら1度病院まで行って、そこからどの道を通るのか教えてよ。夕飯に備えて食後の運動しなきゃね」

 駅のコンコースを抜けて病院まで歩きながら、叶恵は1人感心する。
 かなり人通りが多いのに、太郎が言ったように誰も山内蓮だと気づかない。
 考えてみればいちいち周囲の人を気にすることはないから、誰にも気づかれないのも当然かもしれない。
 そもそも誰も、こんなところに山内蓮がいるとは思わないだろう。

「そういえば、太郎くんの初恋の話を聞きそびれてました」
「そんなに知りたい?」
「はい。だって私は話したのに、太郎くんは話さないなんてフェアじゃないでしょう?」

 確かにそうだと太郎は笑う。

「実は俺も、隣の家の幼馴染みの女の子が初恋だった。何年か前に久しぶりに会ったんだけど、変わってなくて嬉しかったな」
「その人のこと、もう1回好きになったりしなかったんですか」
「叶恵さんに出会ってしまったからね」

 その言葉に思わず太郎を見ると、太郎は真剣な眼差しで叶恵を見ていた。
 太郎の昨夜の告白を、叶恵は今の今までどこかで疑っていた。
 何かの冗談だろうと思っていた。
 でも違った。
 太郎は本気なのだ。

「……どうして私なんですか。2年前にたった数分関わっただけなのに」
「正直、どうしてかなんて自分でも分からない。でもあの瞬間、ひとつだけ分かったことがある」
「分かったこと?」
「恋はするものじゃなくて落ちるものだってこと。映画やドラマで使い古されたフレーズだけど、俺はあのとき初めて、その言葉の意味をこの身をもって知ったんだ」
「……」

 黙りこんだ叶恵の頭を蓮はポンポンと撫でる。

「そんなに気にしないで、さっきみたいに普通にしててよ。今はまだ俺が勝手に好きなだけだし。まあそのうち好きになってくれたらいいなとは思うけど、フラれても仕方ないとも思ってるから」
「そんな、仕方ないなんて……」
「そういう言い方されたら、俺、期待するよ?」

 今までの真面目な表情を瞬時に消して、いたずらっ子のように笑う。
 それも太郎なりの気遣いだと気づいたので、叶恵も太郎に乗ることにする。

「いいですよ、期待しても。でも、好きになる保証はどこにもありませんからね。なんてったって、居候太郎のプー太郎ですから」
「そういうこと言ってると、山内蓮に戻るよ?」
「え、それは困ります。せっかく太郎くんに慣れてきたのに」
「じゃあ太郎くんでいてあげるよ。だから一刻も早く、太郎くんのことを好きになるようにね」
「太郎くんのくせに、なんか偉そう」

 叶恵がにらむ真似をすると、蓮は嬉しそうに笑う。

「そうそう、その調子。あ、病院が見えてきた」
「それじゃあこの道を左に曲がります」

 太郎に言って、病院の1本手前の道を左折する。
 さすがに太郎と一緒に病院には近づけない。
 もしも誰かに目撃されたら、明日質問攻めにあうことは目に見えている。
 来た道とは別のルートでスーパーを目指していると、太郎がスーパーの手前の交差点で左手を指差した。

「俺が昨日飲んでたの、あそこのバーだよ」
「こんな住宅街にあるお店、よくご存じでしたね」
「2年前、この近くで撮影してたときに見つけてさ。隠れ家っぽい感じが気になって1回行ってみたくて、やっと昨日行ってきたんだ。叶恵さんは行ったことある?」
「たまに1人で行きますよ。安奈(あんな)さん、かっこいいですよね」

 『TREE』というそのバーは40代の安奈という女性が1人で切り盛りしている、スツールが8脚だけの小さなバーだ。

「うん。でも旦那さんも、安奈さんに負けないくらいかっこよかったな。エリートサラリーマンなのに全然気取ったところがなくて、すっごく気さくだった。まあ、旦那さんと意気投合したせいでついつい飲み過ぎて、あんなことになったんだけどさ」

 安奈はともかく、たまに顔を出す一見とっつきにくそうな安奈の夫と初対面で意気投合できる太郎は、やはり人たらしだと実感する。

「太郎くん、もしかして正体バラしました?」
「っていうか、バレた。幸いほかにお客さんいなかったから、問題ないよ。あの2人は言いふらすような人たちじゃないでしょ」
「そうですけど、これからは気をつけてくださいね。山内蓮がうちに居候してるお祖父ちゃんの従兄弟の孫と同一人物だって近所に知られたら、大パニックになりますから」
「了解。今後は気をつけます」

 スーパーで買い物を済ませて帰ろうとすると、空は今にも雨が降り出しそうなほど真っ暗だった。

「家に着くまでに降ってくるかもね。そこで休憩していく?」

 お店に入ってすぐのところにテーブルと椅子がいくつか並んだ休憩スペースがあり、暇そうなお年寄りたちが飲み物を片手におしゃべりに興じている。

「買い物も済ませてしまったし、5分くらいなら降らないかもしれないから、帰りましょう」
「そうだね。よし、急ごう」

 だがスーパーを出て1分も経たないうちに、ポツポツと雨粒が落ちてきた。

「叶恵さん、走るよ」

 と、太郎は荷物を持っていない方の手で叶恵の手を取ると、走り始める。
 あまりにも自然なその動作に叶恵は手を振り払うこともできず、なんだか青春映画みたいだと他人事のように思いながら、降り始めた雨の中を太郎と手をつないで走った。
 だが夏の夕立の雨脚は速く、家に着く頃には2人ともずぶ濡れになっていた。

「ただいまー。おばあちゃん、タオル2枚持ってきて」

 叶恵が声をかけると、絹江がタオルを持って慌てて玄関に出てきた。

「わざわざ雨の中帰って来ないで、どこかで雨宿りしてくればよかったじゃない。それより2人とも、手をつないですっかり仲良しになったのね」

 絹江がからかうと、叶恵は条件反射のようにパッと手を放す。
 そうして受け取ったタオルで水滴を拭いながら、太郎に声をかける。

「太郎くん、先にシャワー浴びていいよ」
「叶恵さんこそお先にどうぞ。明日仕事なんだから風邪ひいたら困るでしょ。あ、絹江さん。これ、頼まれてたもの」
「ありがとう。叶恵、先にシャワー浴びていらっしゃい」
「じゃあお先に」
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