雪山での一夜から始まるような、始まらないようなお話。
「へー、男に騙されたツライ過去があるとか?」
「……ないですけど?」
「あるんだ? 俺が慰めてあげようか?」
「だから、ないですって! 結構です!」

 ニヤニヤとからかってくる後藤さんに、だんだん口調が荒くなる。

 結婚の話題を持ち出されると、嫌な記憶が蘇るからやめてほしい。

 ──不倫の末、三歳だった私を置いていった母。私に無関心だった父。ずっと要らない子だった私。
 そんな私に結婚なんてできるわけない。誰も私を選ぶはずがない。
 
 イラッとして、首を振る。
 そろそろセクハラを訴えようかと思い始めた時、声をかけられた。

「安住、例のプロジェクトの件で確認したいことがあるんだけど、いいか?」

 いつの間にか、進藤がそばに来ていた。
 見慣れた癒やし顔についホッとしてしまって、ムカつく。
 
「いいけど、今?」
「あぁ、今。食べながらでいいから、隅に行こうか。後藤さん、失礼しますね」

 進藤は先輩に断ると、私のトレーを勝手に持って、隅の席に移った。
 彼がかなり面倒くさくなっていたから、助かる。

(でも、吉井さんはいいの?)

 ちらっと見ると、彼女はさっきの席で他の子と食べていた。進藤はもう食べ終わって、こっちに来たらしい。

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