ボレロ
その晩は、久しぶりに心が晴れた気がして、絵筆も走っていた。昼間の海岸の景色にあの少女を入れた作品と、海をバックにしたその少女の横顔を書き上げた。翌日からは、生憎の雨となり、春先の気まぐれな低気圧が日本列島を縦断していった。そんな事も有ったためか、結局、かんなぎのお孫さんからの連絡は無いまま時間がすぎ、僕は定例のお勤めに出かけていた。月に一回程度、叔父の知り合いだった銀座の画廊の店主に絵を見せに行っていた。店主は珍しく、僕の絵に興味を抱いたらしく、
「薫君、これ良いね。」そう言って、あの少女が画かれている海辺の絵と、横顔の絵、そしてモチーフとなった海岸の絵を数点買い入れてくれた。そんな事で一寸気分が良くなった事も手伝って、暫くご無沙汰している、母の所へ顔を出そうと思って、母が住む外苑近くのマンションに向かった。近くの洋菓子屋で、土産を誂えてから、母の部屋に乗り込む決心をした。母は女医をやっていて、数年前まで、あるNPOに所属して世界中を飛び回っていたが、流石にきつくなったのか、ここ数年は、日本でそのNPOの事務代表兼開業医と言っても、殆ど外人専門の医院で働いていた。僕が、親の期待に反して芸大に進み、医学とか科学とは畑違いの方向に行ってしまったのと、その発端となった、今僕が住まわせてもらっている、伊豆のアトリエの持ち主である叔父との不仲もあって、僕と母の仲はあまり良くなかった。それでも、此数年は、日本に居るためか、何かと気を遣ってくれている様だった。まあ、大体結婚の話が主だったのだけれど。
「薫君、これ良いね。」そう言って、あの少女が画かれている海辺の絵と、横顔の絵、そしてモチーフとなった海岸の絵を数点買い入れてくれた。そんな事で一寸気分が良くなった事も手伝って、暫くご無沙汰している、母の所へ顔を出そうと思って、母が住む外苑近くのマンションに向かった。近くの洋菓子屋で、土産を誂えてから、母の部屋に乗り込む決心をした。母は女医をやっていて、数年前まで、あるNPOに所属して世界中を飛び回っていたが、流石にきつくなったのか、ここ数年は、日本でそのNPOの事務代表兼開業医と言っても、殆ど外人専門の医院で働いていた。僕が、親の期待に反して芸大に進み、医学とか科学とは畑違いの方向に行ってしまったのと、その発端となった、今僕が住まわせてもらっている、伊豆のアトリエの持ち主である叔父との不仲もあって、僕と母の仲はあまり良くなかった。それでも、此数年は、日本に居るためか、何かと気を遣ってくれている様だった。まあ、大体結婚の話が主だったのだけれど。