甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
「ご、ごめんなさい、私、思いきり胸元に飛び込んでしまって……」


急いで離れようとした瞬間、グイッと髪の一部が引っ張られた。


「痛っ」


「ああ、髪が絡まってますね」


「えっ……」


髪の隙間から見ると、彼のワイシャツの袖口のボタンに私の髪が少し絡みついている。


「痛いでしょう。今、取りますね」


長い指が髪に触れ、まるで宝物に触れるかのようにそっとほどいてくれる。


「綺麗な髪なのに申し訳ない」


ぶつかったのは私なのに、この人の態度はどこまでも優しい。


「いえ、あの、お急ぎですよね? 髪は切っていただければ……」


店外に出ようとしていた人を足止めするのは忍びない。

恥ずかしいが店員に声をかければ、鋏を借りられるだろう。


「とんでもない。特に急ぎの用事ではないので大丈夫ですよ」


「でも……」


「あなたの綺麗な髪を切るくらいなら私のボタンを取りますよ」


そう言って彼は私の顔を優しい眼差しで覗き込む。

至近距離から見る完璧な容貌に気後れする。

先ほどの匠眞のキツイ物言いとは違う、見ず知らずの私への温かな心遣いに胸が詰まった。

その後も彼は丁寧な手つきで根気よく髪をほどいてくれた。

時間にしてみれば二分ほどだったと思うが、申し訳なさといたたまれなさでずいぶん長く感じた。
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