甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
「あり、がとう」


お礼を口に出した途端、鼻の奥がツンとした。

その瞬間、彼が目を見張り私の顎を長い指で掬った。

ふわりと優しい感触が唇を掠めた。

至近距離に迫る美麗な面差しに、キスをされたのだと悟る。


「なんで……」


「未来の妻にキスをして咎める人間はいないだろう?」


片眉を上げる彼に二の句が継げない。

会社にほど近い往来で誰かに見られでもしたらどうするのか、それこそ今朝のネットニュースの二の舞だ。


「大丈夫、誰も見ていない」


私の憂いがわかっているあたりが憎らしい。


「場所を、考えてください」


「キス自体は拒否しないのか?」


クスクスと面白そうに声を漏らす。

指摘にハッとして慌てて否定する。


前回もだが、どうして私は彼のキスを拒めないの?


全力で逃げないの?


こんなのはおかしい。


「……疲れているので帰ります」


「一緒に帰ろう」


「ひとりで帰れます」


「違う。同居すると言っただろ?」


脳裏に昨日の電話の会話がよぎる。


「まさか……今日から? でもまだ入籍も……」


「今後記者連中に囲まれてもいいのか?」


とんでもない発言に反論をのみ込む。


「すぐそばに車を停めている」


そう言って郁さんは私の頬から指を外す。

そのまま骨ばった指が私の左手に絡められる。


長い指に包み込まれるような感触に心がざわめいて、体温が上がる。
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