甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
「もう逃げたり、しないのに」


思わずこぼれた言葉に、郁さんがフッと頬を緩める。


「俺がお前に触れたいだけだ」


甘さの交じった低い声が心の奥に染み込み、絡められた指が震える。

翻弄されてばかりの自分が情けない。


「ずっと甘やかすって伝えただろ?」


ゆっくり、まるで小さな子どもをあやすように口にする。


「とりあえず沙也の家に寄って当面の荷物を運ぼう」


郁さんの放つ魅力にあてられて、咄嗟に反応できずにいる私を尻目に、彼は物事をどんどん前に進めていく。


「お疲れ様です、倉戸様」


「関さん……お疲れ様です」


郁さんに手を引かれ着いた場所には、関さんが立っていた。

私に声をかけ、すぐそばにある社用車の後部座席のドアを開けてくれる。

促されるまま乗車すると、すぐに車が動き出した。

郁さんは端的に関さんに私の自宅に寄るように告げ、座席に背中を預ける。

絡めた指はそのままだ。

ほんの少し暗い車内では郁さんの表情がわかりにくい。


「大体の生活用品や家具はそろっているから必要最低限、沙也が必要なものだけ持ち出せばいい。足りないものはこちらで用意する。それと近々マンションは引き払うようにな」


「そんな急には……更新したばかりで」


「別居は認めない」


はっきりした拒絶に瞬きを繰り返す。
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