愛しのフェイクディスタンス



 車内では無言だった優奈と沈黙のまま三十分程車を走らせ、到着した『高遠一級建築設計事務所』

 雅人の記憶に刻まれているもの。
 それよりも随分と規模が縮小された様子のそこは、事務所兼自宅として数年前に建てられたものだ。

 一階部分は前面ガラス張り、二階、三階部分は窓の数も少ない。
 恐らくそこが自宅なのだろう。白で統一されたキューブ型の、派手好きな高遠はじめらしからぬシンプルなデザインだ。

 事務所であろう一階に人影はない。敷地内に無断で車を停めた雅人は優奈の手を引き、入り口ドアの横にある階段を登った。
 右手にあるドアには高遠の表札がある。ドアノブに手を掛け捻ると、施錠されている気配は無くすんなりと開いてしまう。

(あっけなく来たな)

 何年も避け続けてきた割に、呼ばれてもいない侵入は簡単すぎる。

 そのまま突き進もうとするも、日本人として最低限のマナーか。
 雅人は靴を脱ぐ。
 その流れで優奈の足元にも手を伸ばすが、後ずさってしまったようで届かない。

「自分でできるってば」と、不服そうに呟いた優奈を見上げた時。

「雅人!」

 心臓が跳ね上がるとはこういうことか。と、思わず納得してしまう鼓動。それは、久々に聞く声のせいだ。
 ゆっくりと、振り返る。

「久しぶりね、連絡も……つかないから心配してたのよ」

 会わない数年の間に随分と顔色が良くなっているし、笑顔など記憶に残っていないというのに……。
 今は安堵したように眉を下げ雅人に笑顔を見せている。

「……母さん」
「元気そうでよかった。優奈ちゃんも、おかえりなさい」
「う、うん……」

 おかえりなさい、と声を掛けられ答えるぎこちない優奈の声。
 どうしたんだと振り返るよりも先に、圧のある大きな声が響いた。

「てっきり昨日そのまま飛んでくるのかと思いきや、遅い到着じゃねぇかよバカ息子が」

 プツンと擬音が聞こえてしまいそうだ、と。冷静な部分は頭のどこかにあるというのに。
 雅人の身体はその声の元へ進むことを止められない。
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