愛しのフェイクディスタンス






***


「ああ、悪かったな。それで頼む」

 目が覚めると一番に聞こえてきたのは雅人の声だ。
 けれどそれは優奈へ向けられているものではない。電話の相手はきっと、女の人なんだろう。
 幼いながらに悟っていた。昼寝から目覚めた時、優奈の部屋に泊まりにきてくれていた時。

「……まーくん」

 いつだって、こうして目を擦りながら名前を呼ぶと、通話を終わらせ、勢いよく振り返り優奈の元へ歩み寄る。
 わざと寝ぼけたフリして涙声を出した時もあったっけ。
 ぼんやりと、靄が掛かったように時系列が定まらない優奈の頭の中。

「悪い、起こしたか? まだ五時だからもう少し寝ていた方がいい。今日は休みなんだろ?」
「…………え」

(五時って、いつの五時……休みって)

 擦った目がヒリヒリと少し痛い。これは、アイメイクを落とさずに寝ていたからだろう。
 なぜ? どうして?
 優奈は曖昧な記憶を呼び起こすと途端に背筋を伸ばした。

 時系列が定まらなかった理由はこれだ。
 今の優奈にとって、雅人の声が目覚めの瞬間に聞こえてくることなんてあり得ない。非日常。

(……ヤバい! またやっちゃった!?)

 一度ならず二度。
 雅人に再び迷惑をかけてしまったようだ。

「す、すみません! え、嘘、ずっとここに? てゆうか私寝て……!?」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」

 雅人の顔、そして自分の部屋。
 慌ただしく交互に眺めていると。

「もう気分は悪くないか?」

 寝起き一番に聞こえてきた先程の声よりも数段甘く、そして柔らかな声が降り掛かり、暖かく大きな手が頭を撫でた。
 ほっこりと落ち着く自分が嫌になる。
 そして思い知る。
 雅人の中で、優奈の存在が、あの頃のまま変わっていないこと。
 幼い女の子のままだということを。


< 32 / 139 >

この作品をシェア

pagetop