愛しのフェイクディスタンス


「……じゃ、じゃあ、今から退職願の書き方でも検索して仕上げちゃおうかな、それがなきゃ話にならないよね」
「まあ、必須でもないけどお前が必要だと思うなら。それよりも寝なくていいのか?」
「はい。決めたら決めたですぐに行動しちゃいたいですから。あとで封筒とか買いに……」

 なんと。言葉の途中で、グゥ、と。物凄く間抜けな音がお腹から鳴り響いた。

(いやいやいやいや!!待って、久々にお腹鳴ったかと思えば今なの!? 久々……)

 あ、と思わずお腹ではなく口元を押さえた優奈。
 空腹感を久々に感じた身体に、どれだけ単純なんだと罵りたい。
 恥ずかしくて横を向いたまま固まっていると、クク……っと小さく聞こえた笑い声。
 そろりと視線を向ければ、それは……いつも一緒にいた頃の、よく知る無邪気な笑顔。

「今日は俺も会社は休みなんだ」
「……うん」
「仕事には出るけど昼までは時間があるから、どうだ? 優奈の大好きなパンケーキがうまいって評判の店があるんだよ、ちょっと走れば」
「え」
「モーニングもやってるから、食べに行くか?」

 即答しない優奈を前に、雅人は「風呂に入りたいなら入っておいで。身支度したいなら待つし」なんて、慣れた様子で言葉にする。
 それは、まるで"お風呂に入りたい状態で目覚めた"女性への声掛けに慣れてるみたいで、チクリと胸が痛んで。
 
「うん、まーくんは入らないでいいの?」
「ああ、俺は帰ったら入るよ」
「……そっか」

 熱を持った心臓。痛む心臓。
 伝えようとしてくれているものに蓋をする。今は、まだ認めたくないから。
< 36 / 139 >

この作品をシェア

pagetop