愛しのフェイクディスタンス
「村野工務店様、失礼致します」
パーテションの隙間を抜けた人物が小さく頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げる。
長さのある前髪が揺れ、覗く瞳が優奈たちを見渡した。そうしてコツ、と床を鳴らし歩き出した彼の、スリムシルエットのネイビースーツ。脚の長さがこれでもかと強調されていて。
「初めまして」
穏やかに名刺を社長に渡す、雅人の姿。
「あら、あらあら? あなた……」
目を奪われてしまうのは、やはり優奈だけではないようで。
恭子は、雅人をジロジロと眺め、やがて鳥肌が立つような猫撫で声を出した。
「やだ! あなた、あれね、テレビとか新聞でも見たことあるわ。朝子が騒いでいたもの」
恭子の反応に、慣れた様子でペコリと軽く一礼し優しい笑みを浮かべる。
(な、なんで!)
確かに雅人は"関わらせてくれるな?"と優奈に念押しした。
しかし、それは経過と結果を報告すると。揉めたりしたならば相談をさせてほしい、と。
確かそんなニュアンスであの朝別れたはずだったのだが。
「瀬戸優奈の身内の者です。体調を崩し退職を希望していますが残業代の未払いについてお話をしたく参りました」
「残業代ぃ?」
雅人の色気に惑わされていない村野が大きく顔を歪めた。
「俺は瀬戸に残業しろなんて一度も言っとらん」
「では、奥様と朝子さんがほぼこちらにいらっしゃらない十七時以降、遅くて二十三時頃までは誰がこちらに?」
「そんなの、知らないわよ……それに二十三時っていきなり何を根拠に」
社長と恭子が息ピッタリに否定をすると、雅人は穏やかな笑みを浮かべたまま優奈の隣へ歩み寄る。
「根拠ですか……。うちが懇意にしている調査会社に優奈の出社と退社時刻を調べさせたことと、あとはそうですね。セキュリティ会社の施錠履歴に時間も残ってると思いますし」
「そんな、やだわ、大袈裟な」
優奈はすぐ隣に立つ雅人を見上げ、どういうつもりなのかと顔色を伺うが、その笑みからは何も読み取れない。
ただただ、美しい顎のラインと喉仏に目を奪われるだけだ。