愛しのフェイクディスタンス


「経理ですか」
「うん。経理アシスタントは募集かけてたから、とりあえずそこに。ただ、そのうち優奈も希望する職種が出てくるかもしれないし、その時はその時で俺に相談してくれ」
「いやいやいや、滅相もございません」

 社長に希望を直談判。なんと贅沢な話か。
 優奈は雅人の行動力に驚くと同時、面接も何もかもパスして飛び込もうとしている、とっくに底など知れてしまった自分に違和感を覚えた。

「なんか、朝子さんと変わらないですね、私」

 自然とこぼれ落ちた言葉。
 信号待ちで停止し、ハンドルから手を離した雅人が優奈の頬を撫でる。

「変わらない……か。それは優奈次第だけど、そうだな。ひとつ言わせてもらうなら、俺はお前を猫可愛がりしてるだけじゃなくて尊敬してるんだ」
「……なんの冗談」

「冗談ならよかったけどな」と、どことなく切なげな声で呟いた雅人。
 その理由も、言葉の意味も理解できずに俯けば、頬に触れていた手がするりと動き、顎に添えられた。

「だから、そうはならないと確信して優奈を引き抜いてきたわけだ」

 そう言って、雅人は優奈へと触れる指に力を込めて上を向かせる。すぐ目の前に迫る整った顔がジッとこちらを見つめて、瞳の奥が揺れた。

「……俺に会いたくなかったか?」

 囁くような声で優奈に問いかける。
 そのタイミングで信号が青に変わり、雅人は再び視線を正面へ戻し優奈との間に距離を取った。

「それ、は……」

 即答できないでいた。
 質問の意味がわからないわけじゃない。わかるからこそ、だ。これを聞くということは、雅人は間違いなく優奈の最後の告白を覚えているんだろう。

 脳裏で蘇る、あの日の声。
 

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