愛しのフェイクディスタンス
「働かせてもらうだけで十分。お金も少しならあるから……本当これ以上は」
「これ以上も何も、まだ何もできてないぞ、俺は」
(いやいや、どの口が言うの……世間からドン引かれる程度に甘え腐ってるわ)
ほら帰ろう、と。雅人が優奈の手を取った。いい思い出のかけらもない職場を後に、近くのパーキングに向かう。
見えたのはあの日乗った、黒の車。
「そういえば……」
「どうした?」
父親のことに関してはこれ以上を話してくれそうにはないし、とりあえず無事に会社を辞められそうなことに安堵した優奈は思い出したことを口にする。
「……これはプライベートの車ですか?」
「もちろん」
「あの、その車にですね、古くからの知り合いとはいえ他の女が何度も乗り降りすることで迷惑にはなりませんか」
暫し黙り込んだ雅人が「他の女って?」と、首を傾げた。
「あの、私が倒れてお世話になったバーに一緒に来ていた方は恋人ではないんですか?」
「ああ」
あいつか、と呟いた雅人。
「……違うよ、全然」
「そう、ですか」
妙な間をあけてそう言った。
まあ、モテる雅人のことだ。恋人と括らずともそれらしき女性なんてたくさんいるんだろう。
もしかしたら、どの人だろうと思い返していたのかもしれない。
(昔からポンポン彼女、変わってたしな……)
はぁ、と盛大なため息と共に雅人の車の助手席に乗り込んだ。このモヤモヤとした気持ちからいつまで目を逸らそうというのか。
ナビが優奈のアパートへの道を案内して、その声と重なりながら雅人が言う。
「優奈、少し休みたいか?」
「え?」
「うちはすぐにでも……いや、俺が今週は出張が多いな。来週あたまからでも来て欲しいけど」
「そんなすぐに働けるんですか!?」」
「もちろん。人事と総務には話を通してるし、優奈の村野での仕事内容的に経理に行ってもらおうかと思ってたからそこにも通してる」
優奈が退職願をちまちまと書き上げている間に、話は大きく進んでいたらしい。そもそも引き継ぎなどさせる気もなかったということか。