愛しのフェイクディスタンス





「っと、呑気に話してる場合じゃなかったな。雅人、もう出るぞ」

 琥太郎が腕時計に目をやり雅人に呼びかける。

「わかってる。……奥村、マキは昼までいないから。お前たちの仕事を振るんだろう? 教えてやってくれ」
「ああ、はい。マキさんからさっき聞かされてますよ」

 手短に伝えた雅人が優奈の方へ振り返る。

「優奈、慌ただしくて悪い」
「いえ、大丈夫です。私の方こそ朝から案内してもらってごめんなさい」

 人目があるのでさすがに馴れ馴れしすぎる受け答えは自重しなければと頭を下げつつそう返したのだが。

「……そんなにかしこまらなくても、ここには親しい奴らしかいないぞ、優奈」

 雅人は酷くつまらなさそうな表情を見せた。

「アホか、お前はよ。優奈ちゃんがせっかく公私分けて接してるんだから、ボケたこと抜かすな」

 琥太郎の言葉に雅人は纏う空気を瞬時に冷たいものへと変えてしまう。

「お前にアホともボケとも言われる筋合いがない……いちいち話に入ってくるな、行くぞ」

 はいはい、と呆れた様子の琥太郎が手を振り二人はフロアを後にした。

 静かにドアが閉じられたその後、暫くして廊下からは「ラッキーだったね! 朝から二人まとめて拝めちゃったね」「珍しいね」なんて、ヒソヒソ聞こえてくる声。

「二人は普段社内にはほとんどいないんだよ」
「え?」

 唐突に、隣の奥村が優奈にそう話しかけてくる。

「でも二人揃って社内外問わず人気者だし目立つからね」
「ああ、そうですよね」

 どうやら、聞こえてきた声に耳を澄ませていたことに気づかれていたようで、親切に解説をしてくれたのだろう。

「瀬戸さんも、少しの間は注目を集めると思うんですけど。マキさんが一掃するだろうから大丈夫ですよ」
「マキさん?」

 脳裏には先ほど出会ったばかりの美しい表情が蘇った。

「高遠さんも琥太郎さんもマキさんがキレたら逃亡するからね、強いよあの人」

 げっそりとし、遠い目で語る奥村に優奈はクスクスと小さく笑い声をあげてしまう。

「そうそう、そんな感じで力抜いて。マキさんからまだ仕事については何も聞いてない?」
「はい!」

 言われたそばからピンと背筋を伸ばして答えると、奥村は眉を下げて困った表情を見せた。


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