嘘よりも真実よりも
薄暗く落ち着いた店内は、夜景の中に溶け込むような、ひかえめなのにきらびやかで、総司さんでなくてもおすすめしたくなるだろうと思うぐらい、とてもしゃれていた。
若く美形なバーテンダーは、彼にうやうやしくあいさつすると、「カウンター席へどうぞ」と声をかける。
総司さんは何度も来てるのだろう、慣れた様子でカウンター席に座り、「何飲む?」と聞いてくれる。
「ちょっと飲み過ぎてしまったので、ソフトドリンクで大丈夫です」
お腹ももういっぱいで、何もいらないのだと思いつつ、遠慮がちに言うと、彼はまじまじと顔に穴があくんじゃないかと思うぐらい、見つめてくる。顔に何かついてるんだろうかと、落ち着かない。
「じゃあ、ホットウーロン茶にする?」
「はい、それで」
ほおに手を当てると、彼はスッとバーテンダーの方へ目を移し、ホットウーロン茶とハイボールを注文する。
「まだお名前をうかがってませんでしたね」
「……みちるです」
迷って、そう答えた。
久我みちるは有名な翻訳家ではないけれど、お仕事で出会う方以外にその名を伝えるのは極力さけていたし、富山家に出入りしているのに富山みちるではない異質な私を知られたくもなかった。
それは、これまで生きてきた経験から来るもので、決して総司さんにフルネームを伝えたくないと思ったからではなかった。
彼もまた、よく知らない女性と飲み慣れているのだろう。苗字を伝えない私に違和感を覚えた様子もなかった。
私たちはたまたま出会って、みちる、という名前を知るだけでじゅうぶんな関係なんだろう。