いっそ、君が欲しいと言えたなら~冷徹御曹司は政略妻を深く激しく愛したい~
第一章 火曜日の淡いときめき
「こんにちは、中山さん」

 おだやかで深くて、とても耳に心地のいい声。

 この声で名前を呼ばれると胸の奥が温かくなる。そう感じるようになったのは、いつからだったろう。

「こんにちは、烏丸様。いらっしゃいませ」

 丁寧にお辞儀をして落ち着いた声を出しているつもりだが、……自信はない。

 もしかしたら、とても上ずった声になってはいないだろうか。締まりのない顔になってはいないだろうか。制服に乱れはなかっただろうか。白いパフスリーブのブラウスにふくらはぎ丈の黒いジャンバースカートは、どちらも汚れが目立ちやすくて気を遣う。

 心の中で焦りに焦る中山史織に、烏丸泰章は秀麗な微笑みを向ける。とくん……と揺れる胸の奥のなにかに煽られ、このまま彼を見つめていたい気持ちにとらわれた。

(いやいや、ダメダメ、仕事中、仕事中っ)

 そんな自分に全力でダメ出しをして、史織はニコリと元気で明るい笑顔を見せる。

「本日はどのようなものをご希望ですか? なんでもご相談くださいね」

 都心へのアクセスに定評のあるベッドタウン、駅に近い商業施設の一角に、洋菓子店『gateau( ガトー) gateau( ガトー)』がある。常連客には「ガトのケーキ」と略されがちだ。

 Gateauはフランス語で〝ケーキ〟の意味があるので、略されかたもあながち間違いではない。

 史織は高校生の時に三年間ここでアルバイトをしていた。大学への進学は諦めていたことから、『そのまま就職しちゃいなよ』というオーナーからの誘いで就職を決めたのである。

 とてもお気軽な決めかたのようではあるが、史織にとってはありがたい話だった。

 店は人間関係がよく働きやすい。アルバイトといっても三年間のスキルがあるぶん商品のことはわかっているし、常連とも顔見知りだ。

 販売スタッフの仕事は楽しいしやりがいがあったので、繁忙期でも笑顔で頑張れた。

 また史織自体、素直で明るく親しまれやすいかわいらしさがある。初めて来店した客は必ずと言っていいほど史織に話しかけるし、年配のご婦人や子供にも大人気だ。オーナーは、そんな史織の様子をよく見ていたのだろう。

 正社員になって三年目。お客さんの質問や相談は、ほとんど史織が対応している。わざわざ史織が店にいる時間を確認してから来店する常連もいるくらいだ。
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