ゆびきりげんまん
涙で霞むスケートリンクであなたは輝く
 次の週の日曜日。

 私は何年かぶりに葵君の練習するスケートリンクを訪れた。

 葵君は振り付けを丁寧にチェックしているところだった。

 その顔は今まで見たことのある葵君の中で一番真剣で、他人を寄せ付けないようでいるのに、見ているものの心を捉えて離さないような魅力に溢れていた。

 私はちりちりと心が痛むのを感じた。

 葵君をスケートリンクに見に来なくなったのはいつ頃からだっただろう。

 ちりちり。思い出そうとしてまた心が痛んだ。




 私はピアノが好きだった。弾いているときは楽しかったし、同い年の子たちよりは練習もしたし、出来も良かったと思う。



 でも、ただそれだけだったのだ。


 私が中学に上がるぐらいのときだっただろうか。

 葵君の練習を見ていると、葵君と私は違うということに気が付いた。その頃の葵君はどちらかというと大人しくて、内気で、恥ずかしがり屋で、普段は目立つようなタイプではなかった。

 そんな葵君が練習のときだけ普段と違った表情を見せることに気が付いた。飢えたような、取り憑かれたような、熱を帯びた瞳。時間を忘れたように何度も何度も同じ振り付けを繰り返し、ジャンプの確認をする葵君には、自分にはない情熱というものがある。そんな葵君はリンクの中でひときわ輝いて見えた。

 葵君は私とは違う。葵君のスケートに対する情熱は私のピアノに対するものとは違う。葵君はこれからどんどん伸びていくに違いない。輝いて行くに違いない。

 私はそれがなんだか悔しかった。悲しかった。寂しかった。

 私には分かってしまったのだ。葵君がいつか手の届かない存在になることが。そして私にはそんな才能も情熱もないということが。

 いつしか葵君がスケートをする姿を見るのが苦痛になっていった。

 そう、葵君は特別。私とは世界が違う。葵君の練習を見るたびにそれを痛感させられるのだ。

 苦しかった。

 以前のように純粋な気持ちで葵君の練習を見ることができなくなった。

 私は段々とスケートリンクに足を運ばなくなり、そして、ついには全く行かなくなってしまった。
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