丸いサイコロ
□
やけに、外の風の音を感じる中、静まり返った部屋で、まつりがソファーに座り、ぼくはソファーにもたれ、ヒビキちゃんはクッションに座ったままという状態で、しばらく時間が経った。
空調を変えようと、ぼくが立ち上がりかけたところで、ヒビキちゃんがなにか決心したように、口を開く。
「私は『姉』という存在がわかれば、それで終わると思っていたんだ」
泣きそうで、しかし決して、泣かず、それだけを言って、また俯く。
ぼくらは、そもそも姉探しについて聞いたとき、家に行こうとも、彼女の、他の家族に、特徴などを聞きに会いに行こうともしていないのだ。それは身内を調べるような、感じじゃなかった。だとすれば、姉は第三者になるが、姉についての特徴を彼女は知らないようだった。
彼女に、姉がいるのなら、それを調べるだろうし、第三者のことなら、多くの場合、○○さん。という風に書くのでは無いだろうか? それから、手紙に『双子』などの注釈があったわけではない。時間がないのに、昼に遊んでいる場合でさえなかったわけだ。
彼女は、途中から真剣になるが、おかしかった。
だから『姉の捜索』自体が目的ではなかったということなんじゃないかと、なんとなく感じた、というか、心のどこかで怪しんではいたのだ。
そもそも、彼女に宛てたものではなかったみたいだが……では、彼女はいったい何を信じたというのだろうか。まつりも特に聞かなかったし、なにか意味があるのだとは思っていた。
それから、まつりが、家族の居場所への住所を調べるために電話をかけたのかと、最初は思っていたので聞かず、結局は、そのことの確認さえ忘れてしまっていたが。
もしかしたら、別の用事で電話をかけたのか、それとも、本当に姉を探していて家族に会えない状況だったのか? などあれこれ思っていると、目があった。
「──実は、彼女の家族は、みんないなくなっているんだ。それに、厳しいところだし、ちょっと因縁があるからね、気楽に家に行けるわけもない。
そして、行っても、なんにもないんだよ。──父は、いるけれど、今の会社から、帰らない。まあ、親戚ではあるし、前から気を回すようにと言われていた」
「いなくなった、って……」
「そのまんまの意味だよ。──で、あの手紙が届いたんだよね」
彼女は、小さく頷く。いろんな感情が渦巻いて、いっぱいいっぱいなようだった。そのまんまの意味とか、手紙は結局、本当にまつりが出したのかが気になったが、まだ、ここでは聞かないことにした。
「……姉って聞いて、まず浮かんだのは、昔仲良くしてもらった、お姉ちゃんだった。手紙の内容なんて、どうでも良かった。
『姉』なんていないのに届いた手紙なんて、普通は無視するよ。──でも、それで閃いて、家族が欲しくなった。ずっと寂しかったから、あの人を探してもらって、しばらく、お家に呼んだんだ。父さまが、なんとか探してくれるって言って……それで、一人、二人といれかわりながら、たまに来てくれてた」
「──でも、すぐに、出ていったんだね。できる限り、きみを傷付けて。その頃は、つい最近になるわけだけど──彼女が、脱走しているってのは、密かな身内の話題になっていてね。まさか会えるとは、最初は思わなかったけど」
ヒビキちゃんは、俯いたまま、今度は、何も言わなかった。
「──まあ、ただ暮らしている間ならいいかなあ、とか……ちょっと他人事に思っていたんだけど……今度はまたそこから居なくなったーって聞いてさ。なんとか呼び出したんだよ。あそこに。ベタな罠や、……あとは、きみに関する話、だったんだけど……そっくりなのが、結果としては二人、来たわけだ。ああ、それの件で、そっちにその手紙が行ったのかな……入れ違ったんだ。あの手紙、結構わけありでね。……あ、別にそこまで悟られなかったか。で、話を続けて」
ヒビキちゃんは、固く、唇を結んでいた。何かに耐えるように、クッションにシワを刻む。
どこか強引な語りかただ。もしかしたら、自分が関わった辺りの細かなことも、もう、そんなに覚えてはいないのだろうか? 視線が定まらず、まるで他人事みたいだった。感情が見えない。日記を読み上げているだけ、みたいな。
ヒビキちゃんは突然振られて、それなりに心の準備があったのか、数秒してから、説明に戻った。
「──私があの人の娘ってだけでも、一緒にいるのが、怖かったんだと思う。だけど、認めたくなくて、探しに行った……その、あなたを頼れば、なんとかなるって……そのうちに、あのひとが、やっていたことに気がついた」
また、沈黙が訪れた。
5分くらい経って、何かに焦れたのかまつりが謝る。
「こちらこそ、嫌な手段に頼って、悪かった。さすがにわざわざ、こんなやり方にする必要はなかったのに──八つ当たりだよ」
どういうことか、ほとんどわからないぼくに、まつりは言う。なんでもないことのように。
「──きみが予想した通りじゃないか」
──おかしい。何か、決定的に違うような、違和感を感じた。だけど、確かにぼくはそう思ったと思うし──
なんだか納得のいかない顔のぼくを、まつりは、今度はにやにやした顔で眺めている。すべてがわかっているけれど、ぼくはどれだけ気付くかな? という、面白がっている顔だろうか。
もし、全てを覚えていなくても、解けるのだとしたら、まつりは、知る範囲の、文字列の情報だけで、真相を組み立てられているってことなのだろうか。
ぼくより、きっとかなり短い時間で、だ。
「──ああ、そういえば、少し前、昨日になるくらいの時間、かな? きみが、どうして彼女が、つらい目にあったと思っていたか、考えたんだ」
ひとりごとみたいに、ぽつりと言うと、聞こえていたらしいヒビキちゃんが、なにを今さら、という感じに、顔を上げ、ぼくを見つめた。おお、可愛い。
……じゃなくて。
良かった、まだ、会話を続けてくれるらしい。
「あ、あれは、嘘だって……」
座っていたクッションを口元まで持っていき、隠しながら、ほのかに顔を赤くしている。涙目だった。
「でも、きみの目は、真剣だったよ。それらがぼくのせいかどうかは、ぼくには言い切れないけれど、でも、何かつらい目にあった人がいたことは、事実だと思う」
ぼくは、そこまで言って、言葉を切った。なんか、恥ずかしいことを言った気がする。
しかし、事実、そんな感じのことを思ったのだし……心の葛藤を押しやって、再び喋る。
「だけど、いつも、悩み相談をされていた、って感じじゃなかった。彼女たちは、きっとつらいと思っていても、他人には言わないタイプだ」
どうしてかと聞かれたら、似ている人を知っているからだとしか言えない。
見ただけで、なんとなく、こういう人なんだなと、わかることがある。きっとお屋敷や、周りの、いろんな人の顔を見てきたからだろう。見たかんじ以外の理由もあったけれど。
「そ、それで」
ヒビキちゃんが、おそるおそる、という感じに、聞いた。
「……その前に確認。ぼくが連れ去られた間、ぼくの家に預けられたってことは──見えていたはずだよね。あの向かいにあったお屋敷が」
「……ああ。そうだな」
「それで、その場所から、必死に逃げているぼくを、その日は、見ていたんだね」
「……そ、れは」
「──すぐに、屋敷にたくさん人が集まってきていて、そのときに、彼女が騒ぎに乗じて、逃げ出したのを、見ていたんだよね? ぼくは、そのときに、まるでそっちを追うみたいに、走っていて、後から、ぼくを探す人たちの声がしていた」
そこまで言ったときだ。明らかに顔色が変わった。
予期しなかった、というように。
「どう…………して……」
「ぼくがいない間の人質だとしたら、ぼくは突然こっそり逃げたわけだから、そんなの、予測できたひとは、ほとんどいないよ。まだその日は、きみは居たはずなんだ。だけどその時間、暗くて、子どもの細かい顔の特徴までは、わからなかったんじゃないかな?」
──と、言ったときだった。
空気が、どうも、おかしいことにようやく気が付く。あれ? お、怒ってる。
顔を、赤くして、潤んだ目を吊り上げて。
ああ可愛い。──じゃなくて。
彼女は叫ぶ。
「……っど、どうして──どうして、そこまで、考えて、おかしいと思えるはずなのに! わかってたのに、それなのに『あたし』のこと、覚えてないのっ! それとも、全部、わかってて、最初から、わざとはぐらかしていたの?」