丸いサイコロ
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その人がどんな人なのかを知りたいとき、自分や、周りはどんな行動を取るのだろう。
もちろん、直接質問する場合もあるだろうし、なにかを一緒にやったりもするだろう。
特には考えずとも、イタズラなどは、一方的に出来て、安直で、一見手っ取り早い。拗れたら大問題になりかねないが。
興味を引かせるものを探してみたり、怒らせたり、泣かせたり、驚かせたり、笑わせたり。そうやって、なにか反応を試すことや、それで怒られることは小さな頃に、たくさん経験した人も、いるんじゃなかろうか。
ぼくは、昔はそうだった。感情が、よくわからなかった。怒られることがあっても、その人が『怒る』という形を選択したのは、なぜなのか知らなかった。
他者をどういう生き物として理解していいのかと、確かめたくて、恐る恐るに、法に触れない程度で、ちっちゃな、あまりに微妙な、だけどあらゆる悪行をしてきた。結果的にはただのイタズラ好きである。
(見た目だけは真面目そうなせいで、何度か、疑われることさえなかったが)とにかく、他人の感情の表しかたを見ていれば、少しは人間性がわかるように思えてくるのかもしれないと、考え、それを引き出すためにいろいろやったのだ。
──しかし、まあ、理由ややり方なんてのは今、問題じゃない。
問題とすればそれが、他の人にはただただ、迷惑ないたずらにしかならないことだろう。例えば自分の記憶喪失やらに相手をむやみに巻き込んでいるとしても、結局は、もちろん自分勝手と言える。
──だけど。それでも、ぼくは、それについてを明確にして、それを行った人物に、突きつけて怒るとか、そういうことが、ようやくそれを理解出来た今でも、なお、出来なかった。
そんなことは本人が一番知っているはずなのだし、言ってしまえば、あまりに脆く、移ろいやすく、派手に一瞬で崩壊するような関係性を、わざわざ修復してまで無駄に多く築くようなことに、価値は感じていないんじゃないだろうかと、思った。
そうだ、あいつはいつだって、誤解が多い生き方を選ぶ。
だけど、本音だけが正しいわけでも、誤解が無ければ幸せになれるわけでもない。それに。
『……あなたを、忘れました、あなたに見出だしていた価値が、なんだったのか、思い出せないんです』
──そんなことを、今では、まっすぐ誰かに突きつけなくなったのは、そいつなりの、遠回りな優しさからなのかもしれない。