跡継ぎを宿すため、俺様御曹司と政略夫婦になりました~年上旦那様のとろけるほど甘い溺愛~
我が家は代々陶器の製造販売を行っている。曾祖父の代に、美濃焼で知られる岐阜の山奥で、陶器を製造する窯元として出発した『加藤製陶』は、徐々にその規模を拡大していった。祖父が継ぐ頃には、地域で一番大きな会社へと成長を遂げている。

その勢いのまま、祖父は『加藤ブランド』として高級志向のラインを確立させた。デザインと品質の良さが評判を呼び、東海地方では名の知れた陶器ブランドとなり、加藤製陶はますます栄えていった。

そんなあるとき、国から加藤ブランドの商品を来日する要人らの手土産にしたいと相談が入ったという。今は亡き祖父が生前に聞かせてくれた話によれば、それはもう青天の霹靂で、関係者一同大騒ぎとなったらしい。もちろん、二つ返事で依頼を引き受けた。

そこで特別にあつらえた白磁のタンブラーの評判がとにかくよくて、メディアで紹介されるや否や、どこで買えるのかと問い合わせが殺到した。当時は〝タンブラー〟などしゃれた名前ではなく、そう呼ばれるようになったのはもう少し後になるが。

チャンスだと踏んだ祖父は、すぐさま味わいのある色味など色違いのタンブラーを作成して売り出し、加藤ブランドの名を日本中に知らしめる一大ブームを巻き起こした。

この出来事を足掛かりとして、加藤製陶は東京へ進出を果たしている。ただし、製造は変わらず岐阜のままで。

加藤製陶の成功物語は私が生まれる前の話で、祖父は幾度となくその栄光の歴史を語って聞かせた。


東京では事務所併設のギャラリーをかまえており、高級志向の商品を主として扱っている。結婚式の引き出物から大学教授の退官パーティーで配る記念品等、需要は高まるばかりだった。

政治家や大物経営者が好んで通うレストランや、要人のもてなしの場で加藤の製品を使用したいという依頼もたくさん舞い込むようになっていく。ついには陶器と言えば加藤ブランドと認識されるまでに成長し、裏に印字される『KATOU』のロゴは一種のステイタスとなっていた。

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