魔女のはつこい
「…え?」
「君を貰える?」

さっきまでとは違う低く反響するような声が青年の口から発せられる。表情も変わり、ぎょろりと目玉が飛び出すくらいに大きく開かれた目がセドニーを射抜いて動けなくなった。

途端に呼吸が出来なくなって息が止まる。ようやく吐き出せた息は自分でも分かるくらいに震えていた。

とぼけたような顔をしていても、青年のその奥に秘めたおぞましい何かがセドニーに危険信号を送り続ける。

危険、そう全神経が訴えていても身体が少しも動かなかった。うかつにもポプリを受け取るべく差し出してしまった手が青年に掴まってしまう。

「…いっ!」

手首を掴まれたセドニーは強い痛みを感じて顔を歪ませた。青年の手のひらから伝わってくる妙な気配は彼が人ではないことをセドニーに伝えてくる。手首を掴んだだけではなく、握りつぶそうとしているのかどんどん力が強くなって血が止まりそうだ。

強い痛みがよりセドニーを委縮させて動けない。このままだと骨が折れるどころじゃないと分かっていても振りほどけなかった。

誰、何が起こっているの、怖い。怖い!

「大きな力…強い魔力だ…旨そう…。」

もう片方の手がセドニーの頭を目掛けて伸びてくるのが分かった。ゆっくりと、手が近付くにつれて悦を帯びた笑みを浮かべるその表情に恐怖以外の言葉はない。

食われる、そう感じた瞬間だった。

「セドニー!!」

強い風圧を感じてセドニーは思わず腕で顔を覆い目を閉じた。呻くような声が耳に入ってきたが恐怖で目を開けることが出来ない。
すぐに右腕に強い痛みを感じたと思えば、そのまま身体を抱え込まれセドニーの恐怖は限界を超えてた。

「きゃああああ!」
「セドニー、俺だ!アズロだ!」

アズロ、その名前に目を開けるとセドニーは自分がアズロの腕の中にいる事に気付いた。セドニーの手は既にあの男から解放されてアズロがセドニーを守ってくれている。そう感じるだけでセドニーの心が震えた。

「あ、アズ…。」
「ケガはないか?もう大丈夫だ、俺に任せろ!」

その言葉と共にアズロの腕に力が籠りより強くセドニーを引き寄せた。アズロがいる、ただそう思うとセドニーの目が熱を帯びて視界が歪んだ。

「うううう…。」

左腕を抱えた青年が口の端から涎を垂らしながら息荒くアズロを睨んでいた。彼の左腕は、身体から千切れて足元に力なく落ちている。あの手は確かセドニーの手首を掴んだ方だった、さっきの痛みはアズロがセドニーから引きはがしてくれたのだと理解して身震いをする。

「はぐれ魔獣か…。」

アズロの言葉にセドニーの肩が跳ねた。あの人が魔獣、その事が信じられなくて男から目が離せない。彼もアズロやタイガと同じ魔獣だなんてとても思えずセドニーは静かに首を振った。

「よこせ…それは俺の獲物だ…っ!」

喉の奥底から叫ばれた混雑音がセドニーの恐怖心を加速させる。明らかにこの男はセドニーを狙っていた、むしろ渇望しているように感じられてセドニーの全身が震え始める。

「すぐに片付ける。怖いなら目を逸らしていてくれ。」

決して目の前の男から視線を外さず、アズロは目標を定めたまま自身の身体に力を込めて踏ん張った。するとアズロを中心に風が巻き起こり始める。風の勢いが強くなるに比例してセドニーを抱えるアズロの腕に力が籠った。

この風は威圧だ。
力の差を感じ取ったのか風に圧されるように男の身体が後ずさる。

「消えろ!!!」

アズロの叫び声と共に熱風の圧力を感じると、耳を塞ぎたくなるような断末魔が辺りに響いた。熱い。まるで炎の中にいるようだ。
セドニーは目を逸らしていたがおおよその予想がついて身を強張らせた。

この声はきっと焼き尽くされている魔獣の最後の叫びなのだと。

「あ…あ…。」

やがて男の声は小さくなり、火の粉が消えていくのと共に男の身体もチリ一つ残さずに消されていった。
そして肌に感じる風が熱を供わなくなった頃、アズロが微かに動いたのを感じた。

< 40 / 71 >

この作品をシェア

pagetop