仕方なく結婚したはずなのに貴方を愛してしまったので離婚しようと思います。
「そろそろ準備しないとね」
歩いて十分もしないところにある小さなアパート。母が亡くなって妹は入院生活、父と二人で会社に近い小さなアパートに越してきた。二階の角部屋、もう十年も住んでいたこのアパートとも今日でおさらばだ。
ガチャリと鍵を差し込んで部屋に入る。古い建物できしむ床、壁も薄くてよく隣の部屋の声が聞こえたっけ。でも、もうここには戻ってこれない。
荷物はボストンバック一つだけ。思い出を一緒に持っていくと思い出して辛くなりそうだから。必要最低限のものと父と母の遺影だけをバックに詰め込んだ。
「穂乃果」
背後から自分の名前を呼ぶ穏やかな声。
「玲司、さん」
振り返ると仕事終わりに迎えに来てくれた玲司が玄関先に立っていた。
「迎えにきたよ。準備はすんでるかな?」
「はい」
ボストンバックを持ち玲司のもとへ寄ると「荷物はこれだけなのかな?」と驚かれた。わざとこのバックに入るだけにした、とは口が裂けても言わない。
「はい、元から荷物は少ないので」
「そうなのか、じゃあ行こう」
「はい」
アパートの外には誰もが知って言うような黒の高級車が止まっていた。玲司の開けた助手席に乗り、車はゆっくりと動き出す。サイドミラー越しに見えていたアパートは段々小さくなり、そして見えなくなった。