敏腕パイロットは契約妻を一途に愛しすぎている


「――藤野さん。なに笑ってるんですか」

 海外からのフライトを終えて羽田に戻り、本日の業務を終えてオフィスを出たところで女性の声に呼び止められた。

 考え事をして歩いていたせいで、いつの間にか隣に客室乗務員の小久保(こくぼ)さんが並んでいることに少しも気が付かなかった。

 俺の顔を覗き込むように見上げてくる彼女もちょうど仕事を終えたところらしい。メイクはそのままに、業務中はきれいにまとめている黒髪はおろしている。

 上品なモノトーンのワンピースの裾をひらひらとさせ、ヒールの高い靴をこつこつと鳴らしながら俺の隣を歩く小久保さんを一瞥してから答える。

「いや、ちょっとむかしを思い出していただけ」
「むかし?」

 小久保さんが不思議そうに首を傾げた。

「藤野さんってめったに笑わない人じゃないですか。それなのに珍しく表情が柔らかいからどうしたのかなと思ったんですけど、いったいどんなことを思い出していたんですか」
「内緒だ」
「えー、教えてくださいよぉ」

 彼女の視線から逃げるように歩く速度を少しあげると、不満そうな声を漏らしながら小久保さんが追いかけてくる。

 彼女の年齢はたしか杏よりふたつほど上だった気がする。ざっくばらんな性格で、客室乗務員の女性陣の中ではわりと話しやすいのでこうした雑談も苦にはならない。
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