造花街・吉原の陰謀

10:歪な対抗手段

 明依と別れた後、宵は自室の文机の前に座り仕事を片付けていた。物憂げな様子で筆を止めたかと思えば、すぐに我に返り筆を走らせる。先ほどから何度もそれを繰り返していた。

「宵、話がある」

 少し開いた襖から聞こえた叢雲の声からは、若干焦りの色が見えた。

「終夜の事ですね。どうぞ、入ってください」

 叢雲が後ろ手で襖を閉めて胡坐をかく間、宵は書類を文机の端に寄せて叢雲に向き直った。

「その様子だと、満月楼を終夜の管轄下に置く事はすでに聞いたか」
「はい。つい先ほど本人から。吉野大夫に来ていた身請け話を無期限に延期するという話も、終夜の口から吉野大夫へ説明済み。彼女も了承しています」
「……脅されているのか?」
「わかりません。本人は、納得している。の一点張りです。気にかかるのですが、これ以上この件は動かせそうにありませんね」

 宵の言葉に、叢雲は難しい顔をしてしばらく考え込んでいた。

「終夜がウチをみる事になったのは、本人の希望ですか?」
「ああ。しかし残念ながら、度重なった満月楼に関わる不幸事と双子の幽霊の目撃情報で、満月楼に配属される事をよく思わない主郭の人間が多くいた事は事実だ。それならと終夜が名乗りを上げてからはいつも通り。ほとんど無理矢理自分の意見を押し通したという訳だ」
「やはり、そうでしたか」
「終夜はお前に酷く執着している様に見える。思い当たる事はないのか?」
「ずっと考えているのですが、今のところ何も。ただ一つ気になるのは、吉野大夫の件を頭領の許可を取ってきたのかと聞いた時『頭領がいないと決め事一つ出来ない』『早く世代が代わればいいのに』と言っていました」
「それではやはり狙いは頭領の座か。しかし、頭領選抜に関係のない宵にどうしてここまで、」

 叢雲の言葉を遮る様に襖が大きく開き、宵と叢雲は驚いた面持ちで視線をそちらに移した。

「宵への執着を覗けばもう答えは出たようなものだ。終夜が吉原の主権欲しさに旭を殺した。まァ最初から分かっていた事だ。あの男ならやりかねん」

 驚く二人をよそに、炎天は足音を響かせて室内に入り襖を締めた。

「……炎天さんでしたか。驚きました」
「お前はもう少し落ち着いて行動できないのか」
「俺から言わせればお前達二人は落ち着きすぎだ」

 さも当然の様に腰を下ろした炎天に向かって、宵は口を開いた。

「ところで、朔が日奈だけではなく旭も殺した。という線で調査していると聞きましたが、その件はどうなっているんですか?」
「それはもともと清澄が『万が一の可能性を考えて調査を』と、言い出した事に尾ひれがついたただの噂話だ。あの男は優しすぎる。〝吉原の厄災〟相手でも、まだ二十歳にもならない子どもだと憐れに思い、万が一の希望を託しての調査だったのだろう。結果、朔じゃなかった。そもそもだ。余程の隙をつかなければ、朔に旭は殺せない。万が一にもありえない」

 終夜を庇う様な態度をとる清澄が気に入らないのだろうか。ぶっきらぼうな態度の炎天は、フンと鼻を鳴らした。

「炎天さんは、随分前から終夜が犯人だと確信を持っていますよね。そう思う事に、何か根拠があるんですか」

 宵の言葉に炎天は息を一つ吐き捨てた。叢雲は何も言わずに、炎天の言葉を待っているようだった。

「宵にはわからない感覚かもしれないが、薄汚れた裏の世界では誰かと協力して生きていくことが必要不可欠。誰かが輪を乱せば、自分の命にも関わってくる。終夜はそれが飛び抜けて多い。予め決めていた配置を乱しての単独行動。殺さなくていいと命令を受けても、少しでも対象と関わった人間は女でも子どもでも一切の躊躇なく殺す。怪我をした仲間を捨て置く所か、もう助からないと決めつけてあっさり殺害。あの男は、組織外所か幼少期を共にした人間にすら一切の興味がない。そもそも命というものに興味関心がないのだ。こんな仕事をしている俺が言えたことではないが」
「それはうまい表現だ、炎天。俺は一度、身体中に深い傷を作って(おびただ)しい量の血を流していても、痛みに見向きもせずに目前の人間を一人で殺し続ける終夜を見た。それから俺は、あの男を同じ人間だとは思えない。自分の命にさえも関心がないのだろうな」

 その当時の終夜の様子を思い出しているのだろうか。叢雲は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。その様子を見た炎天は、宵へと視線を移して口を開いた。

「満月楼の管轄が終夜の下に決まった今、楼主という立場もただのお飾り。この妓楼の主権は実質終夜にある。満月楼ごと宵を潰す気か。あるいはそうすることで何か、終夜にメリットがあるのか」
「メリットというのは?」

 炎天の言葉に宵は落ち着いた声で問いかけた。

「例えばの話だ。終夜はつい最近まで主に吉原の外で仕事をしていた。その時に敵対組織と繋がったのであれば、満月楼の様な大籬(おおまがき)の妓楼をその組織に任せる事は、関係を保証する何よりの材料になる」
「なるほど」
「可能性はあるな。現状で頭領が宵を解任するとは思えない。宵が邪魔だという事も、旭を殺す理由も、今まで吉原に興味関心のなかった終夜が急に頭領の座に関心を示しだした理由も」

 炎天の言葉に二人は納得した様子を見せる。宵は叢雲が話をしている間、何か考えるそぶりを見せていたが、叢雲が話終わったことを確認した後で口を開いた。

「話は少し変わりますが、終夜は吉原のルールに乗っ取って裏の頭領に許可を取って行動している。だからこそ、重役のあなたたちでさえ文句の一つも言えない訳です。しかし、その事に関して頭領は何か思う所はないんでしょうか。部外者の俺からすれば、終夜にいいように使われている様に見えるのですが」

 宵の質問に対し、二人は少しばかり眉間に皺を寄せた。

「噂では、現在の裏の頭領、(あかつき)さまの秘密を握っているらしい。それが一体何なのか、皆目見当もつかないが」
「秘密ですか」

 炎天の言葉に、宵は小さくそう呟いてまた考え込んだ。それぞれが状況を整理しようと無言になる中、沈黙を破ったのは炎天だった。

「……本当は楼主の前で話す内容ではないと承知した上で言うが」

 言葉を続けようとする炎天に、宵と叢雲はそれぞれ顔を上げた。

「朔が抜けた分、満月楼の警備の枠には一つだけ余りがある。もしかすると終夜に対抗できるかもしれない人間が、一人だけいる」

 炎天の言葉に呆れたように溜息を吐いた後、身を引き締めて厳しい顔を作った叢雲は炎天を睨みつけた。

「無茶だ。これ以上は手に負えない。終夜一人にこの様なんだぞ」
「終夜が何かを企んでいる事は間違いないんだ。頭領は終夜の言いなりと言っても大げさではないはず。終夜が事を荒立てた時点で始末する以外、終夜を止める方法はない。終夜にとって〝あの男〟が側にいる以上にやりにくい事はないだろう」
「相殺ならば希望もある。しかしそれ以外なら、ここにいる全員の命はないかもしれない」
「終夜が次代の頭領になっても、それはおそらく同じことだ」

 叢雲はさらに何か言いたげな様子だったが、炎天の諦めた様なぶっきらぼうな声に、口を噤んだ。

「俺は、主郭の内部の事についてはよくわかりません。叢雲さんは、現状で炎天さんの意見以外に考えはありますか」
「次の頭領を終夜以外の人間にすることだ。しかし残念ながら、現時点で終夜以外はありえない。あの男は自分勝手だが、物事を俯瞰でみる事に長けていて的確に指示を出す。加えてあの年齢であの強さ。ついて行きたいという人間は主に〝陰〟、主郭の中にも一定数いる」
「もしかすると失礼な事を聞くかもしれません。お二人は、頭領候補に名前は上がっていないんですか?」

 宵のその一言で、その場の雰囲気は急速に重くなった。

「俺達にその資格はない」

 叢雲はそう呟いて俯いた。炎天も宵から視線を逸らす。そんな二人から感じるのは、不躾な質問をされたことに対する怒りではなかった。

「生前の旭の様に、吉原の未来を託してみたいと思わせる才能を持っていた頭領の一人息子を見殺しにしたんだ」

 宵は視線を揺らした後、二人に向かって頭を下げた。

「すみません。まさかそんな理由があるとは知らずに」
「気にしなくていい。俺達は一生、この罪を背負っていく覚悟だ。常に肝に銘じていなければ意味がない。が、今は話を戻そう。現状頭領になるには、吉原に幼い頃からいたという事実は必須条件。現在の条件を満たす中では終夜に任せるしかない。しかし、それを覆すことが出来ればまだ可能性はある」
「それを覆してどうなる」
「宵を推薦する」
「俺を、ですか?」

 叢雲の言葉に、宵は目を見開いた。しかしすぐに、炎天が首を横に振りながら口を開いた。

「いい案だが、無謀だ。それには間違いなく頭領の許可がいる。終夜が許さないだろう」
「宵が終夜に連れ去られた時、二度目に提出した証拠を前に頭領は宵の解放に首を縦に振った。圧倒的な何かを準備すれば、取り合ってくれるはずだ」
「ちょっと待ってください。話が急すぎます」

 宵を放って話を進める二人を、彼は少し声を張って制した。

「俺は楼主です。妓楼に絡む事は分かっていても、吉原という街や主郭の内部事情はほとんど何も知らない。取り合ってもらう所か、相手にされるとは思えない」
「しかし賭けてみる可能性はある。その年齢で大籬の妓楼を任されている事に前例はなかった。加えて、この街が出来てから一つの妓楼に二人の大夫がいたことはない。雛菊の件で主郭内外からの宵の評判はさらに上がった事は言うまでもない。それがもし、三人目となれば頭領も現行の制度から例外を出す事に首を縦に振るかもしれない」
「それはつまり、ウチからもう一人〝松ノ位〟を出す。という事ですか」
「そうだ。どちらにしてもこのまま何も行動を起こさなければ、満月楼どころか吉原が終夜の手中に落ちる。それは何としても避けたい。宵、協力してくれないか」

 宵は混乱しているのか、黙って何かを考え込んだ。

「……思っていたよりもずっと深刻な状況であることは分かりました。できる限りの事は、協力しようと思います。どうせ何か手を打たなければ、俺は終夜に消される事になるのでしょうから」
「ではまず、〝松ノ位〟に誰を推薦するかだ」

 宵は叢雲の質問に少し間を空けて、言いにくそうに口を開いた。

「誰かもう一人と言われれば、現状は明依以外にいないでしょう。しかし残念ですが、正直今の明依のままで多方からの承認を得る事は出来ない。多分、本人もそれは分かっていると思います」
「明依か。〝吉野大夫の世話役の片割れ。残る一人は悲運の死を遂げた雛菊大夫。二人の想いを背負って〟。汚い話だが、そうなれば表の人間が食いつきそうな話だな。しかし、松ノ位昇格はそんなくだらない世間体では到底認められないぞ。大夫という肩書はいわば吉原の顔。表裏関係なく吉原全体の評価になる。一般人は騙せても、目の肥えた観光客や芸事の師範、頭領を含めた主郭の人間を騙す事は出来ない。SNSが普及している現代では、噂はすぐに国を越えて広まる。明依の為にも、一番慎重になるべき事だ」
「俺も炎天さんの言う通りだと思います。それに今、あの子は精神的にかなり落ち込んでいます。無理はさせたくない。……少し時間をください。俺から直接、タイミングを見て話してみます。それでどうでしょうか」

 宵は叢雲に向かってそう問いかけた。

「黎明を松ノ位に本気で昇格させようとするのなら、正直に言えば今すぐにでも行動してほしいくらいだ。タイミングを見ている様な時間はない。何か気にかかることがあるのか?」
「そうですね。この妓楼と、何より吉原の未来がかかっている事はわかってはいるんですが……。正直に言えば、明依を利用しようとしている事に抵抗があります。できる事なら、自分の意志とタイミングで決めて行動してほしい。あの子のこれからの為にも」
「荷が重いのであれば俺が言おう。距離が近いからこそ、言いにくい事もあるだろう」
「いえ、俺が。どんな理由があるのだとしても、明依の立場からすれば全て言い訳でしょう。俺が頭領になる可能性に賭ける為に、無理をしてでも大夫になってくれ。と、押し付ける様なものでしょうから」

 宵は俯いてそういった。叢雲と炎天はその様子をただ見ていた。少し時間を空けて、炎天は口を開いた。

「明依はお前を慕っている。お前からの頼みを〝利用する〟だなんて捻くれた捉え方はしないだろう」
「だからですよ。だから、抵抗があるんです。明依はきっと、利用しようとしているだなんて思わない。わかっているんです。そんな事は。きっと必死に現状を変えようと、自分の許容を越えて無理をする事も」
「……宵のいう事も痛いほどに理解できる。しかしもしお前が満月楼ごと潰されれば、元も子もない話だぞ」

 炎天は少し遠慮がちに、しかしはっきりとそういった。

「……その通りですね。すみません。話が逸れましたので、計画の件に話を戻します」

 宵は少し考えた後で息を吐き俯きながらそう言うと、すっと姿勢を正した。

「この計画ですが、必ずうまくいく。とはとても言い切れない。保険として、炎天さんの言っていた人物を警備に当ててもらえませんか。終夜の問題を直接解決できるとは思っていませんが、終夜がやりにくいと感じる様な人物なら、抑止力になってくれるかもしれません」
「終夜が何か行動を起こそうとしているのなら、時間稼ぎにはなるだろう。では、そうしよう。朔の様に内部からの反発を見張るのではなく、妓楼の外部からの接触に対応するように説明する」
「話が伝わるといいがな。〝人を見た目で判断するな〟は、〝あの男〟の為にあるような言葉だ」

 炎天の言葉に、叢雲は皮肉じみた口調でそういった。それに炎天が「確かにな」と呟き、二人は共に立ち上がった。

「宵、黎明の件は一刻を争う。悠長に待っている時間は無いんだ。くれぐれも、頼んだぞ」

 叢雲は一方的にそう告げて宵の返事を聞かずに襖を閉めた。「そう急かすな、叢雲。何とかなる」と炎天のいつもよりも少し落ち着いた口調を襖の向こうで聞き終えた後、宵はため息を一つついた。
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