造花街・吉原の陰謀

11:晴れ渡る空の下

 先日雪の部屋の格子に(せみ)も顔負けの状態でしがみついていた所を見られて、会話一つまともにできなかった女将が経営する裏の団子屋で団子を鱈腹食べた後、大勢でお茶会でもするのかという程の量の団子を持って満月屋への道を歩いていた。

 そんな昼下がり、鏡を見なくても自分が今一体どんな顔をしているのかわかる。大仕事を終えてやっと一段落、という顔に違いない。

 裏の団子屋の女将は、明依の姿を確認した瞬間大慌てで走ってきた。それから涙ながらにどれだけ心配したのかを延々と語った。

 誤解の〝ご〟を口にする時間もない程マシンガントークは止まらなかった。
 とうとう、誤解です。というタイミングすら逃し、紆余曲折を経て改心しました。という事にすれば、女将は大喜びで繁盛している店に無理矢理ひとつ椅子を増やして明依に団子をふるまった。

 それから軽く10人を満腹にさせられる程度の団子を「みんなで食べなさい」と土産に持たせてくれた。お代を払う払わないの話になると、先ほどまでの様子はどこへやら。一方的に店から追い出されて今に至る。

 明依は談話室へと足を運んだ。凪とは日奈の事を心配してもらって以来、話をしていなかった。あの時は日奈が死んで時間が経っていない時、それも朔に絡んだことで精神的に酷く落ち込んでいた頃だ。

 当然、心のうちにあるかたまりの全てが解けた訳じゃない。ただ、何もかもすべてどうでもいいと思う気持ちは少し薄れた事は間違いない。それに比例して、心にも少しだけ余裕ができた。

「あ、黎明さんだ!」

 開け放たれた襖から顔をのぞかせると同時に誰かがそう言うと、10数人の視線を一気に浴びてどこか恥ずかしい気持ちになった。その中に凪の姿を見つけると、明依は真っ直ぐに凪に近づいた。

「凪」

 一瞬顔を上げた凪はすぐに視線を逸らして俯いた。明依はテーブルをはさんで向かいに腰を下ろした。

「あの。黎明さん、私、」
「あの時はごめん。そっけない態度を取ったから」

 そういって明依が頭を下げると同時に、凪は勢いよく俯いていた顔を上げた。

「私、何も気にしてません。逆に失礼なことを言ったんじゃないかって、心配したんです」
「失礼だったのは私の方だよ。心配してくれてありがとう」

 凪は胸を撫でおろした後、いつもより少し控えめな笑顔を見せた。

「いつもの黎明さんに戻ったみたいで本当によかった」
「急な事だったから、気持ちの整理が出来てなかったの」
「それじゃあ、また誘ってもいいですか。ここで、お茶」
「うん、勿論」

 頷く明依に、凪は今度は嬉しそうに笑う。それに今度は明依が胸を撫でおろした。
 何が正解かなんて、未だに全くわからない。でも、誰かを失った辛さは、誰かを(ないがし)ろにしていい理由にはなりえないとようやく気付いただけだ。埋まらない心とは別の所で、やっと一つ心を解く事が出来た気がした。

 明依は団子をテーブルの上に置いて立ち上がった。

「よかったら皆で食べて。それじゃあ、私はこれで」

 談話室を出てから吉野の部屋、雪の部屋も周ってみたが運悪く二人とも部屋の中にはいなかった。

「これ、どうしよう……」

 一人でそう呟きながら、人気のない廊下を歩く。とてもではないが、もう団子は食べられない。あと一つでも団子を食べたら、間違いなく今日の夢はわんこそばの様に次から次に出てくる団子を食べている夢だと断言できる。

 つまり誰かにあげるという選択肢以外はないのだが、竹ノ位の遊女とは折り合いが悪い。団子を渡したとして、快く受け取ってくれるかどうかもわからない。そう考えると本当に狭い世界の中で幸せを見ていたのだという事を実感して、胸の内が冷え返る思いがした。

 宵の部屋に向かう気にはなれない。正直に言えば気まずい。あの夜は結局、泣き疲れて眠ってしまったし、その次の日に宵を怖いと思ったことを、彼は非常に気にしていた様子だった。どちらか一方だけならまだ何とかなったが、このお互いに何か問題を抱えている感じが、どんな距離感で接していいのかわからなくなる理由の大きな部分だ。

 ゆく当てもない明依は、自室に向かうまでに遠回りしながら妓楼の中を歩いていた。不意に双子の幽霊が視界を横切るが慣れたものだ。

「こんにちは。いい天気だね」

 誰かに聞かれると不審者のレッテルを貼られる事間違いなしだ。しかし、いると分かっていて無視するというのは気分のいいものではない。興味本位で二人が明依の座敷に現れた時から、すれ違いざまに聞こえるか聞こえないかの声で挨拶をする事は明依の中の決まりになっていた。

 いつもならそれで何事もなかったかの様に立ち去るところだが、明依はペースを落としながら手元の団子を見つめた後で立ち止まった。

「ねえ。美味しいお団子があるんだけど、食べない?」
「食べる」

 少女は明依の目の前に走ってくると、明依の持っている団子を見ながらそう言った。

「見つかったら面倒だぞ」
「見つかってもいい。ここの団子、ずっと食べてみたかった」
「いいわけねーだろ」

 少しばかり焦った様子を見せる少年に対し、少女は廊下のど真ん中で明依の持っている団子から視線を逸らさなかった。

「だったら私の部屋に来る?」
「行く」
「それじゃあ、私の部屋集合ね」

 明依はそういって少女の横を通り過ぎたが、少女はそれでも団子から一切目を逸らさない。それから双子の幽霊とは別行動で自室に向かった。

 自室についてから明依は手早く二人を迎える準備を進めた。まさか吉原の怪談話の主人公と言っても過言ではない双子の幽霊を、自室に招く日が来るなんて思いもしなかった。明依が自室にたどり着いてからそんなに経たずに部屋の襖を開けたのは、少年の方だった。

 少年がまだ襖から手を離すよりも前に、少年の腕の下を通り抜けた少女は、姿勢を正して正座して座った。

 その様子が可愛らしくて、こらえきれずにフフッと声を漏らして笑うと、少年は「笑っている場合じゃない」といいながらもなんだかんだ楽しみな様で、少女の隣に腰を下ろした。二人の前に明依が団子を差し出だした。

「俺が先に食べる」

 なんだ、やっぱり楽しみだったんじゃん。と思った明依だったが、次の瞬間には団子の串を手に取ろうとする少年の手を掴んでいた。やっぱりこの街は、まともじゃない。

「毒見しようとしてるんだよね。私、食べるよ」

 終夜があの座敷で毒見させなければ到底気が回らなかっただろうが、きっと吉原の裏側はそういう世界なのだ。それはきっと、子どもだって同じことだ。

「毒が入ってないのは分かってる。念のためだ」
「でも、もし毒入ってたら大変じゃん」
「だから入ってないって」
「わかんないよ。私が毒盛ってるかもしれないよ」
「いやそもそも、お前そんな複雑な事考える程頭よくなさそうだし」

 どこかで聞き覚えのある言葉に明依が絶句していると、少女が瞬きもせず団子を見たまま口を開いた。

「何が言いたいのか当ててあげる。〝それ、終夜にも同じこと言われたんだけど〟」
「……え、待って。何で知ってるの?」
「これは勘。終夜なら言いそう」

 少女とそんなやりとりをしている間に少年は団子を頬張って飲み込んだ。

「うん、大丈夫」

 少女は、いただきます、の言葉を言う時間すら惜しいのか、さっと手を合わせながら目を閉じてすぐに団子を食べ始めた。
 少年もしっかりと串に刺さった残りの団子を頬張っていた。

「俺達の事は気にしなくていいって言ったはずだ。何で毎日毎日話しかけるんだ」
「だって、いるってわかってたら話しかけたくなるじゃん」

 気にしなくていいくらいの頻度なら本当に気にしなかったのかもしれないが、双子の幽霊は結構な頻度で視界に入ってくるのだ。朝昼晩の三度しっかり会えば、誰だって〝おはよう〟〝こんにちは〟〝こんばんは〟くらい言いたくなるというものだ。

 それが双子の幽霊相手だから問題なのだが、妓楼の中で不審者だと思われる覚悟はできていた。自分で言っておいて悲しいが、失って怖い人間関係なんてそんなに多くはない。

「そういえば二人とも、名前なんていうの?」
「名前なんてない」
「名前は他者と関わるから必要なの。私達には必要ない」

 それを当たり前の様に言ってのける様子に、なんだか寂しい気持ちになる。それに気の利いた事を何一つ言えない自分が情けなく思えて仕方がなかった。

「今度は私からの質問。〝黎明〟って源氏名、自分でつけたの?」
「ううん。吉野姐さまだけど……なんで?」
「興味本位。あなたが私達に名前があるのか聞いた理由と大差ない」

 そう言うと少女は、再び団子を頬張り始めた。結局少女は、残りの団子全てを平らげた。その身体のどこに入っているんだと思う量を食べた少女を、少年はどこか呆れ顔で見ていた。

「おいしかった。ごちそうさまでした」

 少女は丁寧に頭を下げて挨拶をすると、少年に続いて部屋を出て行った。

 双子が部屋から去ってしばらくして、明依は少し散歩する事にして満月屋を出た。だんだんと暑くなってくる季節。一足先に風鈴が飾られた店先で、水色のガラス瓶に入ったラムネを購入してすぐに満月屋に戻る。

 吉原は江戸の吉原を再現しているという割に、売られているものは大して江戸に寄せてはいない。ラムネ瓶なんて絶対に江戸時代にはなかったと断言できる。つまりこの街は、〝なんか日本らしいもの〟であればいいのだ。

 そんな事だから〝造花街〟なんて呼ばれるんだと思ったが、表向きは一応外国人観光客に向けたものなのだから仕方ないのかと、自問自答で納得した。

 明依は縁側に腰を下ろして、ラムネに口をつけた。うだるほどでもない暑さ、飲みなれない炭酸が痛い感覚、騒がしい観光客の声、隙間を縫って聞こえる風鈴の音。本格的な夏が来ると、街全体が告げている。
 それは去年と全く同じなのに、ただそこに日奈がいない。『絶対去年より暑いよね』なんていいながら、ここでラムネを飲んだのに。

「夕涼み、というには少し早い季節ですが、あなたの様な方が縁側に座っているのは絵になりますね」

 明依ははっと我に返った。宵と同じくらいの年齢だろうか。男は明依から少し離れた所に立っていた。その雰囲気は、一般客とはどこか違う。それがこの男の態度からなのか、服装からなのか、それ以外の理由か。はたまた全てが絡まった結果なのか。つまり何が違うのかはよくわからないが、明確に違うと断言できる。

 書生の様な服装だ。着物の下に首全体が隠れるシャツを着ており、袴の腰部分にある布紐に刀を二本刺していた。ピタリと手になじんでいることが分かる手袋に、縁の細い眼鏡がこの男の品の良さを引き出している気がした。顔以外の肌は、どこも露出していない。

「あの……誰ですか?」
「驚かせてしまってすみません。こんにちは。先日死んだ朔に代ってこの妓楼を担当することになった、晴朗(せいろう)と言います。どうぞよろしくお願いします。あなたに少々、伺いたい事がありまして」
「はい。何でしょうか」

 大人しそうな雰囲気だが、どこか強引な印象を受ける。そもそも朔は梅ノ位として誰にも気づかれずに働いていたというのに、身分を明かしていいものなのか。そんな疑問から少しの不信感をあらわにする明依だが、晴朗は全く気にする素振りを見せない。

「朔に襲われたと聞きました。そして最終的には終夜が朔を殺したという話も聞いています。それで、あなた自身に戦う術はありますか?」

 まるで軽い質問の様に問いかける晴朗だが、それが初対面の人間に当たり前のようにする質問ではない事には気付いているのだろうか。そんな疑問が生まれる程には、この街の裏側を知っている様だ。

「いいえ。私に戦う術はありません」
「……そうですか。それは失礼しました」

 そういって晴朗は明依に頭を下げた。明依は晴朗の腰に刺さっている二本の日本刀に目を向けた。

「その刀、本物ですか?」
「ああ、これですか。評判いいんですよ。外国人観光客の方から〝サムライ〟って。なんだか人気者になった気分です」

 晴朗はそう言って笑顔を作る。答えてほしい質問に答えないというのは、質問が正解だからだろうか。それともそもそも会話をする気がないのだろうか。

「では僕はこれで失礼します」
「晴朗さん。申し遅れましたが私は、」
「ああ、お名前でしたら結構です。聞かない様にしているんですよ。覚える気がないので」

 予想外の発言に二の句を継げない明依を他所に、晴朗はその場から立ち去った。この形容詞しがたい何かが、杞憂であればいいのだが。
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