造花街・吉原の陰謀
次代頭領候補編

01:絶対等級

「次代頭領についてだが、評価方法を変えて判定することを提案したい」

 主郭のとある一室にて、叢雲(むらくも)は少し声を張ってそう言った。主郭の重役達によって会議が行われている。会議や定例でよく穴があく終夜(しゅうや)清澄(せいちょう)の席も、今日に限っては埋まっていた。

「〝絶対等級制度〟と名付け、試験的に行ってみたいと思っている」
「もしかしてそれって、天体を比較する絶対等級の事?」
「そうだ」
「なるほどね。最悪の提案だ」

 叢雲の言葉に、終夜は飄々とした態度を崩さない。

「知っての通り、現在は条件を満たした人間以外は頭領となる事は出来ない。その条件を一度取り払う。対象者は、主郭に関わる全ての人間。それから妓楼の楼主、松ノ位の遊女とする。会議ではなく、投票で決める」
「随分手の込んだ嫌がらせだ。泣いちゃいそうだよ」
「試験的にと言っただろう」
「で、結果が出て。それからは?」

 先ほどとは打って変わって、どこか重く圧をかけるような口調に、室内は緊張感で埋め尽くされる。
 主郭の人間は、終夜の圧をかける様な雰囲気が苦手だ。それはおそらく手を伸ばして触れる事が出来る距離にいるという恐怖感だ。それは物理的な距離ではない。この室内全体は、終夜の範囲内。行動が全くもって予想できない人外、例えば敵わないと分かっている鬼を前にしているかの様な気になる。それは終夜が〝(かげ)の最高傑作〟と呼ばれる所以でもある。

「頭領は代々、幼少期から吉原に来た紛れもなく他との接触がない人間に限られてきた。何のために妓楼を(かげ)に見張らせていて、何のために幼少期から暗殺術を叩き込んでると思ってるの。全て、外部からの刺激に即座に対応するためだろ」

 誰もが終夜の(かん)(さわ)らないように、音一つ出す事をためらっていた。

「吉原は所詮(しょせん)、底なし沼に浮かべた板の上に建っている夢幻(むげん)の城だ。地に足がついている錯覚に陥っているなら、今すぐにその考えを改めた方がいい。俺達の様な日陰者に本来、居場所なんてない。視野を広げ選択肢を増やす事だけが最善とは限らない。増やした選択肢がもし、禁忌肢(きんきし)だったらどうする」

 終夜は相変わらず圧をかけるような、しかしどこか感情的な口調でそういった後、俯きながらゆっくりと息を吐き捨てた。それから鼻で笑うと、顔を上げていつもの笑顔を作った。

「俺はもうずーっと小さい頃からここにいて、吉原の害でも敵でもない事を証明している。おとなしく俺にしときなよ」
「吉原はなにも、主郭だけで成り立っているわけではない。吉原全体の意見を捉えておく事も必要だろう」
「納得できないね」
「ここにいるお前以外、全員納得している事だ」
「どうかしてるんじゃない。この街がどんな形で成立していて、どうなれば崩れるか。もっと疑って、ふるいにかけてもいいくらいだ。ここ最近、外界の動きが怪しい事は分かってるはずだ。吉原の外に出たタイミングで、主郭の人間が何人も殺されている」
「敵は外にだけいるとは限らない」

 炎天(えんてん)の言葉に、終夜は少し目を細めた。

「どこが動いているのかは知らないが、外界が騒がしく吉原に害をなそうとしている事は事実。しかしこちらには(かげ)がある。我々を吉原の内側から目を逸らそうとしての事なら今すべき事は外壁を築く事ではない。この程度の騒がしさなら、過去に何度もあった。今危惧すべきなのは、吉原の内側。中枢をなす主郭が揺らぐ事だ」

 はっきりとした口調でそういう炎天に、終夜は呆れた表情で溜息を吐いた。

「わからないか終夜。我々は一時期吉原の外で仕事をしていたお前が、敵である可能性も見込んでいると話しているんだ」
「だったらどうする。時期を早めて、吉原を挙げて俺を潰しに来る?」

 終夜は笑顔の一切を消して、どこまでも無機質で冷たい顔で炎天を見た。

「試してみろよ。俺多分、負けないから」
「あの」

 終夜がそういった後、黙って座っていた晴朗(せいろう)が手を挙げた。

「多分、僕も負けません」

 笑顔でそういう晴朗に、終夜は小さく舌打ちをした。それから彼は、気が抜けた様に深くため息を吐き捨てた。

「そこまで言うなら、その件は勝手にしたらいい。こっちもこっちで勝手にやるよ」
「では、この件は満場一致で可決とする。すぐに頭領の許可を取ろう」

 そういった叢雲を鼻で笑った終夜は立ち上がり、ぐっと大きく伸びをした。

「まだ会議の途中だぞ」
「もう決まっただろ。アンタたちの会議はグダグダ長いんだよ」

 終夜は歩きながらそう言うと、叢雲の前で立ち止まった。そして彼の前にしゃがみ込み、薄ら笑いを浮かべた。

「『敵は外にだけいるとは限らない』……だったっけ?」

 終夜は何も答えない叢雲を挑発的な表情で見つめた後、隣に座る炎天に視線を移した。そして立ち上がりながら清澄、晴朗、ぐるりと主郭の人間の顔へと視線を巡らせた後、ニコリと笑った。

(きも)(めい)じておく事にするよ」

 終夜はそう言い残すと、襖を開けて外に出た。
 まるで籠っていた空気が一瞬で入れ替わったかのように、室内の緊張が解かれた。

「……頭領の容体は?」
「相変わらずだ。医者に言わせれば、生きている方が不思議らしい。到底そんな風には見えないが」

 清澄の質問に、間髪入れずに叢雲がそう答えた。

「次代の頭領には旭がいると、完全に気を抜いていた我々の失態だ。至急投票の準備をして、結果を待とう」
「相変わらずなのであれば、そんなに焦って次の頭領を決める必要もないのでは?頭領が死んだ場合は、終夜もいる事ですし。一時的にでも彼に任せればいいのに」

 炎天の言葉でまとまろうとしていた議題に対し、晴朗は朗らかな笑顔で場にそぐわない程穏やかな口調でそういった。

「その終夜が問題なのだ」
「本当にそうでしょうか。案外終夜に任せた方が、事は上手く回るかもしれませんよ」
「どういう意味だ」
「終夜は強いですから」

 何のためらいもなくそういう晴朗に、叢雲と炎天は小さくため息をついた。

「吉原には敵が多い。強さというのは単純に抑止力になる。どうやら僕の様に、強い人間と戦いたいという思考は一般的ではない様ですから」
「強さだけでは人の上には立てない」
「そうでしょうね。いや、そうじゃなければいけない。頭領のご子息、暮相さまは当時、その強さで吉原の外にまで名を轟かせていたというのに、頭領になり損ねた挙句、吉原から追放されたのですから」

 晴朗がいつもの温厚な口調とは一変して、冴え渡るように冷たい口調で告げた言葉に、室内に再び緊張感が走った。

「頭領はこの吉原という街に命を縛り付けられ、無理矢理生かされている様だ。何がそうさせるのでしょう。ご子息への思いでしょうか。それとも吉原の行末でしょうか。もしくは、掌から零れ落ちる様にいなくなってしまった遊女への未練でしょうか」

 晴朗のその言葉に、炎天と清澄はおびえた様な恐怖に染まった様な顔で晴朗を見た。

「二人とも、そんな顔をしないでください。人伝に少し詳しく話を聞いただけですよ」

 晴朗はそう言うと、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「終夜は〝(かげ)の最高傑作〟ではない。何故ならあなた達が罪悪感から目を逸らしたくて仕方ない暮相さまが、基本を直接叩き込んだ。(かげ)なんて陳腐な場所で育てなくても、暮相さまから基本を叩き込まれた時点で終夜が強くなることは確定していた。旭の方はもう壊れてしまったので、終夜は彼の唯一の遺作という事になる。……時代の寵児とも呼べる人間を追い出すだけじゃ飽き足らず、その遺作すらまるで自分たちのモノかのように振舞える神経だけは評価します」

 晴朗はそう言いながら立ち上がって歩き出し、出入り口の襖へと向かって歩いた。

「僕は終夜を殺したいんじゃない。終夜と殺し合いがしたいんです。黙って用心棒やってるっていうのに、その機会は一向に訪れない。見当をつけた遊女もハズレ。憂さ晴らしにここにいる全員、殺したいくらいだ」

 晴朗のその言葉に、座っている全員が身を固くした。

「と、思っているので、僕はこれで失礼します。来たる吉原全面休園。修繕工事という名目で吉原に関係者以外立ち入ることが出来なくなる期間。きっと吉原は大きく動く。その時まで、待つことにします」

 部屋から出た後で後ろ手で襖を締め切った。
 静まり返った室内の中、ただ俯くばかりの清澄と炎天に向かって叢雲が口を開いた。

「あの男、どうして吉原の事情にあそこまで詳しい」
「落ち着け、炎天」

 炎天は声を震わせ、目を見開いてそう言った。叢雲ははっきりとした口調でそういった。

「晴朗くんが吉原に来た時、暮相さまは既にこの世にいなかった。どうして頭領の過去まで知っているんだ」

 炎天と同じように声を震わせる清澄を、叢雲は睨むような視線で見た。

「落ち着け。考えすぎだ。あの男は暮相さまではない。暮相さまはあの日に死んだ」

 叢雲はそう声をかけたが、彼らの耳には届いていないのか俯いたまま黙っていた。

「検視の結果は聞いたはずだ。確かに遺体は性別も確認できない程腐敗していたそうだが、残っていた歯は間違いなく生前の暮相さまのものと一致していた。現代の技術で、人違いなどあるはずもない。疑う余地はないはず。暮相さまは、あの時に死んだのだ」
「……そうだな、分かっているはずだ。暮相さまが死んだことなど、分かっている。……悪い。思ってもみない人間から話を聞いて、少し混乱しただけだ」

 少し焦った様子の叢雲の声に、炎天はどこか気の抜けた声でそういった。そんな炎天の様子を見て、清澄は深く深く息を吐き捨てた。

「……俺達は昔、未来というものが訪れて初めて選択を間違えた事を知った。いずれまた未来に立った時、俺達はこの選択を今度こそ正しかったと言えるのかねェ。叢雲、炎天」

 そういう清澄の言葉に、誰一人肯定も否定もしなかった。いや、できなかったという方が正しいのかもしれない。
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