造花街・吉原の陰謀

10:いつか、なら今ここで

 人の渦にのまれる叢雲と勝山を背に、二人で走った。

「無茶苦茶だよ」

 呆れた様な口調でそういう終夜を盗み見ると、反してどこか無邪気な顔で笑っていた。

「アンタも本当、扱い辛くなった。元に戻ってくれない?」
「自分が正しいと思う事にしたの。自分に嘘をつくなんて情けない事は、もうおしまい。私は、私の好きな自分でいたいから」
「あの二人が仕込んだ遊女らしいよ」

 終夜はそう言うと、どこかめんどくさそうに明依の事を見た。まさか目が合うとは思っていなかった明依は、反射的に顔ごと視線を逸らした。

「あの二人は俺達に一体、何を期待してるんだか」
「夕霧大夫は面白がってたよ」
「アンタも俺も、おもちゃかなんかだと思われてるよ」

 終夜は呆れたように余裕のある様子でそういう。明依はだんだんと息が上がって、それに対してまともに返事が出来なかった。比較的人通りの少ない道で足を止めた。
 先ほどと同様に、息を整える明依の隣で終夜は辺りを見回していた。

「旭の事で新しい情報が掴めそう言ったの、覚えてる?」
「覚えてるよ」

 忘れるはずがない。あの時はきっと、これ以上喋らないという事は会話にならないのだろうと思って諦めたが、終夜自身がこの話題を持ってくるのなら、詳しく話をするつもりになったのだろうか。

「落ち着いて聞ける?」
「聞ける」

 走ったからか緊張からかすでに心臓はドクドクとうるさい。落ち着いて聞けるかどうかなんて正直わからなかったが、この機を逃してお預けを食らう事だけは勘弁してほしい明依は食い気味にそう答えた。

「旭を殺したのは、叢雲だよ」
「……叢雲さん?」

 叢雲って、さっきまで一緒にいた、彼だよね。他にいないよね。と明依の頭の中はせわしなく動いていた。

「……どうして、叢雲さんが」
「本人に聞かなきゃわからないね。もともと叢雲は暮相(くれあい)兄さんの指南役だった。叢雲、炎天、清澄の中では一番距離が近い。それが絡んでるんだったら、旭の思い描く吉原と、暮相兄さんの理想としていた吉原が違っていた。とか。もしかすると賛同するフリだけしておいて、本当は最初から吉原の解放には反対だった、とか。ただ俺はこう思ってる。……宵を頭領にするために、旭を殺した。って」

 一体どういう意味だ。明依はしばらく終夜の放った言葉の意味を考えていた。

「……何のために宵兄さんを頭領に?」
「さあね。でも宵に肩入れしているのは事実だよ。だって、宵を解放する為に二度目に頭領に提出した日時の書かれた書類は、叢雲が宵に手を加えさせたんだから」

 宵が満月屋に戻ってきて、日奈がどうやって宵の無実が証明されたのかと言われた時、確かにそんなことを言っていた。

「アンタが宵を助けようと地下に入った時、一瞬視線を感じたろ。俺はてっきり空か海の視線だと思ってたから、見逃したけど。あの視線は叢雲で、俺が鍵を開けた後に地下に忍び込んで、宵に日時を書かせたんだよ」

 二度目に拷問部屋に入る前。確かに後ろから誰かに見られている様な視線を感じた。振り返ることは、終夜によって許されなかったが。

「責任を感じている炎天と清澄が頭領選抜に参加しないなら、暮相兄さんに一番近かった自分が参加するわけにはいかない。でも、自分の理想とする吉原の形があってある程度思うままに動いてくれる人物。とか。……あくまで俺の予想だよ。公表できるだけの確実な証拠は掴めてない」

 明依は予想していなかった感情に苛まれていた。旭を殺したことの憎しみや失ったことを思い出した悲しみじゃない。きっと納得できる程の材料がないからだ。

「……嘘、ついてないよね」

 明依が疑うように言うが、終夜は余裕じみた様子で薄ら笑いを浮かべている。

「信じる信じないはどうぞご自由に。ただ、この事は心の内にしまっておいた方がいいよ。それが自分の為だと思って」

 そういう終夜は、飄々としていて掴みどころがない。何か含んだような言い方をする。明依のよく知る〝終夜〟だった。

 特別親しい訳でもないが、知っている人物が旭を殺した犯人。てっきり、怒りの感情で我を忘れるものだと思っていたが、意外と冷静に物事を考えられている。ただ、頭の中がパンクしそうだという事実は変わらない。
 終夜という人間は、日奈と旭の見た人間だと信じたい。ただ、この男はさも当然のように嘘を形にする。終夜の言う事を真に受けていいのだろうか。

「あの二人がせっかく作ってくれた時間だけど、これからどうする?俺はもう充分、アンタの話に付き合った気でいるけど」

 本当にあの二人は、どんな展開を望んでこの状況を作ったのだろう。ここで今すぐ、はい解散。という気は起きなかった。
 この男の本当の顔なんて、一朝一夕ではわからない事は理解した。もしかするとそれは、短期間で松ノ位を目指そうとしている事よりも難しいのかもしれない。いやきっと、難しい。意図して隠している人間の本質を見抜こうなんて。

 明依はぼんやりとしたまま、楽し気な声のする方へと視線を移した。
 夏祭りの時期は、少し億劫になる。あれは年に一、二回だから楽しい。吉原では一か月以上、毎日毎日夏祭りだ。わくわくするのはいつもその前日で、夏祭りの当日から既に、ちょっとしたものを買いにいくのにも人が多すぎて嫌になる。

 ただ毎年、時間を合わせて日奈と旭と三人で外に出るときだけは違っていた。
 まるで年に一度、友達と訪れた夏祭りの様に、心の底から楽しむことが出来ていた。『いつか終夜も一緒に来たいな』と言った旭と、それに同意した日奈の願いは叶わないまま。
 明依は目の前にいる終夜を見た。二人の望んだ状況とは違う。でも今この夏祭りに、終夜と一緒にいる。
 そしてこの時間は長くは続かず、もしかすると今年が最初で最後のチャンスかもしれない。
 後は何事も残らない夢の様に、淡く()けて、消えていくんだろうか。

 それから顔を出した、日奈への罪悪感。日奈は知らないまま、本当に何も知らないまま死んでしまった。だからこの罪悪感は、自分だけで解決すべきものだ。

「散歩、したいな」

 明依がそう言うと、終夜は先に歩き出した。明依もそれに続いて歩く。

 旭や日奈の事が、頭に浮かんでは消えていく。どちらも何も、喋ることはしなかった。傍から見れば、吉原の美しい女にデレデレして彼女の逆鱗に触れた彼氏と、その彼女。吉原では珍しくもなんともない。
 隣では「何、アレ!なんであんなデレデレしてんのよ!!」と怒って先に帰ろうとする女と、焦った様にそれを追いかける男がいた。ここは女の街だ。そんな展開になるのが嫌なら、カップルで吉原になんて来なければいいのにと思うが、おそらく吉原という場所は彼女が彼氏の女に対する態度を測る場所になっているのだと思う。

 視界に入り込んだ水風船に、明依は思わず立ち止まった。色とりどりの水風船が浮かぶ中に、ぽつりと浮いて見える、白。

「おっ、姉ちゃん。一回どうだい」

 そう言って人の好さそうな店員が釣紙を明依に差し出した。この店だったかは覚えていないし、何年前かも覚えていない。しかし、明依は日奈と旭と以前に水風船を取った事を鮮明に思い出していた。
 どうして今まで忘れていたんだろうと思う程、鮮明に。そして、嬉しくなった。
 『明依に出会って、どうして忘れてたんだろうって思うような外の世界の当たり前を、たくさん思い出した。いつも明依が、私の中でずっと眠っていた記憶を起こしてくれた。その度に魔法をかけられたみたいだなって思ってたんだ』
 日奈の言葉を思い出して、少し胸が熱くなる。もしかすると今、日奈と同じ感覚を味わっているのかもしれない。

「終夜」

 てっきり気付かず先を歩いているものだとばかり思っていたが、終夜は既に立ち止まって明依の隣に立っていた。

「勝負しない?どっちが先に、水風船を取れるのか」
「彼女にかっこいい所見せるチャンスだぞ」

 店員はどうやら〝吉原の厄災〟の顔を知らないらしい。水風船を出しているのは小さい見世だった。吉原は広い。その悪名を聞いた事くらいはあっても、顔を見た事はないのだろう。
 それだけでなんだか、平和な世界に浸っている感覚になる。

「じゃあ一回」

 しゃがみ込む終夜に、店員は釣紙を手渡す。

「これ?」

 終夜はそれを受け取ると、たくさんの色が浮かぶ中から白い水風船を指さした。白い水風船には、いろんな色が散っている。

「……なんでわかったの?」
「あれだけ見てたら誰にでもわかるよ」

 終夜は平坦な口調で大して感情を交えずにそういう。この男なら朝飯前でやってのけそうだ。明依から見たらそうだったが、店員からすれば違ったようで「素直に、いつも可愛いお前の事を見てるからわかった。って恥ずかしがらずに言いな。色男~」と盛大に茶化されていた。

 この男に〝恥ずかしい〟だとか、そんな感情があるのだろうか。
 明依がそんなことを考えていると、終夜の持っている釣紙が水に触れて切れた。店員が終夜にまた釣紙を渡す。終夜はもう一度挑戦するが、それはまた、すぐに切れる。

「これ、全然取れないんだけど」
「んな訳ねーよ。一回で取るお客さんも多いよ。さっきなんてこんなちっこい嬢ちゃんが取っていったし。……兄ちゃん、下手だな」

 終夜はしばらく動きを止めた後、一万円札を取り出して無理矢理押し付ける様に店員に渡した。

「そこまでしなくても、」
「別にアンタの為じゃない」

 明依の言葉を遮って終夜はそういう。それは見たらわかるに決まっている。この男に感情なんてあるのかと思ったが、おそらく本当に悔しいのだろう。店員の言葉で火が付いたのか、意外と負けず嫌いらしい。

「もう諦めなよ。人間には向き不向きがある。手で取っていいから持って行きな」
「いいから。はやくちょうだい」

 最初は終夜が失敗するたびに一本ずつ釣紙を渡していた店員も、回数を数えるのもめんどくさくなったのか、早々に小さな木の蓋の様な入れ物に釣紙の束を入れて終夜に渡していた。

「兄ちゃん、負けず嫌いだなァ」

 そう言って店員が、豪快に笑う。
 どっちが先に取れるかという勝負は完全になかったことになった。明依はただ、終夜の隣で一喜一憂していた。

「お!!」
「あっ!!やった!!」

 やっと取れた水風船に明依と店員は声を上げたが、終夜は大して興味もなさそうにさっさと明依に手渡して「いくよ」と言いながら立ち上がった。

 明依は店員にお礼を言った後、一万円の水風船を両手に抱えて終夜の後を追った。

「ありがとう、これ」
「何でそれがよかったの?」

 終夜は先ほど同様、大して興味のない様子でそういう。

「前にね、日奈と旭と三人で夏祭りに来た時。日奈が、白い水風船って少し珍しいよね。真っ白に散っている色が可愛い。って言ってて。白い水風船を旭と二人でどっちが先に取れるか勝負したの。でも、全然取れなくて。日奈がやってみたらあっさりとれて、三人で笑ったって事があって。ずっと忘れてたのに、さっき急に思い出したの」
「……へー。そう」

 終夜は自分で聞いておきながら、やはり興味のない様子でそういう。
 あの二人は、天国で会えただろうか。いや、旭の事だ。きっと何十年先の事だろうと、日奈が天国に来るのを待っていたに違いない。それが思ったよりもずっと早く日奈が来て、驚いているだろう。
 明依は終夜から貰った水風船を眺めた。

 あの二人と5年も一緒に過ごした。それなのにおそらく覚えている事よりも、忘れている事の方が多いのだろう。
 少しずつ、二人が思い出になっていく。それは二人が、遠くに離れて行く事の様に思えた。

「もうすぐ全部終わるよ。それなのにそんな悲しい顔してたら、死んだ二人は悲しむんじゃないの」
「……全部終わるって、どういう意味」

 きっと、何となくどういう意味かは分かっているのだ。晴朗の言葉を借りるなら〝収まるところに収まる〟という事。終夜の言葉の中にはもしかすると、旭の事も含まれているのかもしれない。
 宵が終夜に殺される未来なのか。はたまた終夜が吉原に殺される未来なのか。もしも終夜が宵を殺す事が出来たとして、この街から無傷で出る事は出来ないだろう。他の人間がどうなのかは知らないが、晴朗がいる。
 
「旭とは、友達だった?」

 答えてもらえない事は、分かっていた。それでも、気持ちばかりが先走る。

「日奈に簪を渡したのは、終夜なの?」

 早く応えてよ。そんな焦りが、無意識に口調にこもる。

「終夜にとって、あの二人は何!?」

 何もわからない。この男の事は、何一つだってまともにわからない。
 明確にわかる事がたったひとつ。
 このまま終夜が変わらなければどんな未来を辿っても、この街にはいられない。

「俺は、」

 終夜の言葉の途中で、明依は急に強い力で腕を掴まれて振り返った。

「やっと見つけた」
「……宵兄さん」

 宵は終夜を見ていた。いつもの穏やかな様子ではない。何を思っているのかはわからないが、ただじっと終夜を見ていた。
 終夜は瞬きをすると、宵に向かって笑顔を作った。
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