恋する天然酵母
6 ナナとフミ
「ここ来たことある?」
「いえ、初めてです。でもお礼とかやめてください。割り勘でお願いします」
「いやあ。さすがに若い子と割り勘じゃ俺が恥ずかしいよ」

 弘樹は静かに笑った。

「は、はあ」

 フミは今日だけと思って気を取り直しメニューを見た。この店は去年オープンしたばかりの、ネパール人が経営する本格的なインドカレー屋で興味があったがなかなか来れない店でもあった。注文してしばらくすると銀の食器に入った二種類のカレーと、大きく伸びたナンとサフランライスが届いた。

「美味しそう。いただきまーす」

 ガラムマサラの香りの高さが鼻腔をくすぐり食欲をそそる。
 フミはサフランライスにどろりとしたルーをのせ「インドカレー久しぶり」と言い口に放り込んだ。

「からーい」

 綺麗に静かに食べる弘樹に気づき、フミは自分のリアクションの大きさに少し恥ずかしくなり水を一口飲んだ。

「美味しそうに食べるね。ナンも食べる?」

 弘樹はちぎってナンを差し出してきた。

「あ、ありがとうございます。じゃちょっとだけ」

 ナンを受けっとって弘樹の食べるさまを眺めた。ちぎったナンを緑色をしたカレールーに浸し口に入れ、ルーが付いた指先を舐めている。大きな手とその一連の動作がフミには艶めかしく感じた。

 うっかり見つめていると弘樹が「口の端についてるよ」と笑いながら指摘する。フミは慌てて舌をだし唇の端にペロッと這わせて舐めとった。
面白そうに弘樹が見るので「まだ、ついてますか?」と尋ねると「いいや」と言って彼は首を振る。

 少しの間のあと「やっぱ『ナナ』に似てる」と懐かしげに言った。

「猫でしたっけ?」
「うん」
「もういないんですか?」
「たぶん死んでるだろうな。いきなり家からいなくなってもう十年以上だから。うちにいたのも十年くらいだから、もうさすがねに」
「そっか。猫って死期を悟ると出ていくって言いますもんね」

 しみじみフミが言うと弘樹は「そういう困った顔がよく似てるよ」と言った。

「あ、そ、そうですか」

 可愛い猫ならいいが、この言われようはそうではないのだろうと思いフミは複雑な気持ちがした。

「可愛い名前ですね。美里さんがつけたんですか?」
「いや、俺がつけた。七月に拾ったんだ」
「へー。私も七月生まれなんですよね」
「ああ、文月のフミちゃんなのか」
「なんかちょっと面白いですね」

 妙な共通点にフミはおかしくなってきた。失恋の痛手が軽いのは猫の『ナナ』のおかげかもしれない。食事が済むと眠くてあくびをしてしまい、弘樹にまた笑われてしまった。おそらくナナに似ているのだろう。

「まだ八時だけど眠そうだね」
「すみません。私、朝四時起きなもんで夜早いんですよ」

 あくびを噛み殺しながら言うと「そうか、じゃ送るよ」弘樹は手早く会計を済ませた。

「ほんとになんか色々すみません。ごちそうさまでした。」
「いいよ。楽しかったし」

 また自宅の近くのスーパーまで送ってもらい車を降りた。

「じゃあね」
「ありがとうございました」

 しばらく車を見送ってフミはまたあくびをしながら家に帰った。
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