よあけまえのキミへ

「おめぇはそこで待ってろ、オレらが見てくる」

「俺は一階を探そう、ケンは二階を頼む。あまり無理して奥へ入るなよ」

 田中さんと中岡さんはそう言葉をかわしながら、私のほうを見て『大丈夫』と力強くうなずいてみせると、持っていた水桶をひっくり返して頭から中身を浴びる。

「そんな! 危ないです! 私が行きますっ!!」

 わめきちらす私を一瞥して大橋さんに後を託し、二人はいずみ屋の中へと駆け込んで行った。
 あとには点々と、足跡になった水滴が残るのみだ。

「中岡さん、田中さんっ!!」


 二人にもしものことがあったら、私はどうすればいいの。

 あの浪士たちはすごく狡猾で逃げ足が早い。
 きっともうとっくに脱出しているはずだ。
 中に残っている人がいるとすれば、かすみさんだけだ。
 危険を冒してまで二人に捜索してもらうわけにはいかない。


「天野さん、表の通りに出て待ちましょう。じきに火消しが来ますから、それまでは出来る範囲で消火を手伝うしかありません」

 我を忘れてじたばたともがく私を冷静にあしらいながら、大橋さんは表通りに向かって私の手を引く。

 中岡さんと田中さんが心配で、何度も何度も勝手口のほうを振り返った。
 ドサドサと何かが燃え落ちる音が響きわたり、噴火するように空に向かって火の粉が飛び散る。

 端から次第に炎にのまれ、ゴウゴウとうなり声をあげるいずみ屋を見つめながら、私はただただ茫然としていた。


「かすみさん……」

 ぽつりとつぶやいて立ち尽くす。

 あの時、置いていかなければよかった。
 一人ぼっちにするべきじゃなかった。
 こんなことになってしまうなら、死に物狂いであの浪士たちに立ち向かうべきだった――!

 後悔と自責の念で頭がいっぱいになる。
 強く歯噛みしすぎて唇から血が流れ落ちるのも気にとめず、私は叫び出したい気持ちを必死で抑えていた。


「天野さん、大丈夫ですか? せめて少しでもできることをしましょう」

 大橋さんは私を勇気づけるように強めに背中をさすると、そっと水の入った桶をこちらへ手渡す。

「火消しが到着するまでの時間かせぎにすぎませんが、動きましょう。せめて延焼を最小限に……」

 その言葉にはっとして、いずみ屋の周辺を見渡す。

 そうか、延焼――。
 火事は火元だけの問題じゃない。
 次々に燃え移って被害を拡大させていくんだ。
 これ以上周囲の家々に迷惑をかけるわけにはいかない。

「すみません! ぼうっとしている場合じゃなかったです!」

 水桶をひっ掴んで、火の勢いの強い格子窓付近に水をかける。

 いずみ屋の左手には細い小路が延びており、隣の家屋との間にはわずかながら距離がある。
 こちらにはまだ炎は届いていない。

 右手には谷口屋さんがあり、さらにそこから隙間なく店舗や家屋が軒をつらねること六棟。
 不運なことに右手側の火の勢いが激しく、容赦なく立ちのぼる炎は谷口屋さんの側面を侵食し、焦がしはじめていた。

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