あの日の記憶を
 仕事が休みの日。ふたりで朝から散歩をしている。夏の早朝は風が気持ちよくて、ちょうど良い涼しさで気持ちがよい。

「おじいちゃんおばあちゃんになっても、一緒にこうやって仲良しでいるんだろうね!」
「当たり前でしょ! 僕らはずっと一緒だよ」
「ねっ! なんか陸斗といると、外歩いているだけなのに凄く楽しい」
「ずっと幸せでいような」

 ふたりは手を繋ぎながら微笑みあった。

 ―――幸せだ!


 
 目を覚ました。

 ……夢だった。

 実際に過去で過ごした風景の夢。

 時計を見ると朝の五時。

「あっ、そっか」

 隣に美波がいないのを確認する。

 目を開けると、同じ布団にくるまれながらこっちをじっと見つめていて、目が合った瞬間微笑んでくれていた美波が、頭の中に浮かんでくる。その姿が愛しくて、見るとすぐに抱きしめていた。

 もう彼女の温もりは、ない。
 一気に現実へと気持ちが引き戻された。
 
 彼女は家を出ていった。
 僕の隣には彼女がいない。

 心の中で彼女の存在が大きくなる。
 彼女のありがたさに気がつく。

 裏返したまま出していたTシャツを戻すのがひと手間。
 部屋が散らかってゆく。
 美波のご飯が食べたい。

 もう、他にも色々ありすぎた。
 

 ひとりで外を歩いた。

 小さな歩幅でゆっくり歩く美波の姿に愛しさを感じていた頃の気持ちを思い出す。

 一緒にどこかに行くの、楽しかったな。

 彼女の笑顔、優しさ……彼女の全てが愛しかった。
 ムッとする姿も、悲しそうな顔も。

 全てを可愛いと感じていた。
 どうしてこうなってしまったのだろう。

 いなくなってしまってから、彼女に対しての気持ちを思い出すなんて。
 いなくなってしまってから彼女が僕にくれた沢山のことに気がつくなんて。

 僕は、今も彼女を愛しているんだなって、自覚した。

 もう気軽に「おはよう」とか、「おやすみ」だとか、LINEを送りあえる雰囲気でもない。LINEを送るきっかけを探した。

 洗面所に置きっぱなしの彼女のシュシュや化粧水を見つめた。

 連絡してみよう。

『シュシュと化粧水、家に忘れてるよ? 届けよっか?』

 新居の住所も教えられなかったから、これをきっかけに教えて貰って、また会えたらなって考えながら寝る前にLINEを送った。

『新しいの買ったから、大丈夫』

 断られたけど、返事が来たのが嬉しくて直ぐに返信をした。

『なんか困ったこととかあったら言ってよ?』

『大丈夫だよ』

『おやすみ』

『おやすみ』

 それから毎日、寝る前に『おやすみ』ってLINEを送った。

 最初は『おやすみ』って彼女から返信が来ていたけれど、既読はつくのに返事は来なくなった。

 彼女から返事が来ないのが、こんなにも寂しい気持ちになるなんて。寂しかったけれど、しつこく一方的に送って、これ以上嫌われるのが怖くなったから、LINEを送れなくなった。

 一緒にいた頃、彼女からLINEが来ても、返事を返さなかったことに後悔した。もう、彼女を悲しませてしまった全ての行為に後悔しかない。  
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