カモミール
カモミール
 6年付き合った彼氏に振られた。大学時代にずっと片思いをしていた先輩で、卒業間近に私から告白して付き合い始めた人だった。付き合ってから1年後、彼氏名義でアパートを借り同棲を始めた。いつか結婚すると思っていたのに…。

 彼に別れ話を突然切り出されたとき、理由を尋ねるとそれは単純で、他に気になる女ができたからだと言った。私のことは嫌いじゃないけど私との未来が見えない、と。さらには1週間後にはアパートを出ていってほしいとまで言われる始末。口論になった挙句、私は旅行鞄に荷物を詰め込んで同棲していたアパートを飛び出したのだ。

 タイミングの悪いことに、今はお金がない。奨学金を一気に返済したせいで金欠状態なのだ。1週間で引っ越し先を探すのも現実的な話ではないし、その費用を捻出できるかも怪しい。私は途方に暮れていた。

 時は夕暮れ、あてもなく泣きながら歩いていると、雨がポツポツと降り出し、アスファルトをあっという間に黒く染めていった。あいにく傘を持っていない。雨に濡れて次第に身体は寒さで震えてくる。いい加減あたりが暗くなり、街灯と通りに立ち並ぶ店の明かりが道行く人々を照らし始める。どこかで暖を取りながら行く先を考えよう。

 しばらく歩いていると、程なくして「カフェ カモミール」という喫茶店が目に入った。場所はどこでもいいのだ。ここにしよう。

 店のドアを開けるとカランカラン、とドアベルが鳴った。店に一歩踏み込むとコーヒーの匂いがふわりと香り、なぜか懐かしい気持ちになった。昔ながらのこぢんまりとしたアンティークな喫茶店だった。店内を見渡してみるが、店のスタッフらしき人間は1人しかいないようだ。ハンバーグを運んでいるこの中年の男はここの店主だろう。店主は「カモミール」というかわいらしい響きの店名に似つかわしくない、黒い髪をオールバックにしてサングラスを掛けた強面の男だった。しかも口髭と顎髭を生やしている。ここはヤクザが経営しているのか?
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