カタストロフィ


「オム、オム!聞いてちょうだい!」

キャロラインはこの屋敷でもっとも信頼できる従僕、オムの姿を見つけるなり駆け寄った。
2年前に父がインド帝国から連れてきたこの男は、浅黒い肌に真っ黒な瞳といういかにもインド人といった風貌である。
口数は極端に少ないが、主人であるキャロラインの言葉にはどこまでも忠実であり、よく気がつくため、メイドよりも相談相手に選ばれることが多かった。


「お嬢様、そのように忙しなく動かれてはせっかくの優雅な佇まいが台無しになります。落ち着きなさいませ」

「無理よ、落ち着くなんて!だって帰って来てからずっとずっと胸が高鳴っているのだもの!」


頬を上気させて華やいだ声で叫ぶキャロラインを見て、オムはわずかに目を見開いた。
家の事業の為にまとまったこの婚約はキャロラインの意に沿わないものであると、オムはよく知っていた。
婚約者が見目麗しい若者ならば、女学校を出たばかりのキャロラインもまだ受け入れることが出来ただろう。

しかし婚約者であるマーカス・シェフィールドは、若くもなければ美男子でもない。
そもそも長男ですらなく、本来後継となるはずだったレイモンドが急死した為後継となっただけの男だ。
特筆すべき点は何も無い凡庸そうに見えるあの男が、どうやってこの夢見がちなお嬢様の心を掴んだのか。


「噂には聞いていたけれど、本当に素敵な方だったわ……あの方が婚約者なら良かったのに」

「あの方?」

「ダニエル・シェフィールド、マーカス様の弟君よ。若くしてスカラ座のコンサートマスターを務める天才ヴァイオリニストなの!あんなに綺麗で、優雅で、人を惹きつける人見た事が無いわ。彼がシェフィールド家の後継ぎなら、私の婚約者ならどんなに良かったか」


せっかく理想の殿方と巡り会えたのに、とため息をつくキャロラインは、オムの知らない彼女であった。
たった一度の邂逅で恋に落ちた彼女は、せつなげなため息をつきながらも眩く輝いている。

こんな風に主人に求められるダニエルという男が羨ましく、オムは穏やかな微笑みを顔に貼り付けながらも内心苛立ちを覚えた。
どれだけ信頼を寄せてもらえても、オムの身分では一生キャロラインの隣には立てない。

好きでもない男に嫁ぎ、義務を果たすために子作りをし、自分の人生に不満を抱えるキャロラインの面倒を一生見る。
そうすれば、彼女に1番近しい者でいられる。

そう、思っていたのに。

(そのダニエルとかいう男、調べなければ)

キャロラインが幻滅するようなスキャンダルがあることを期待し、オムははしゃぐキャロラインの相手をし続けた。

< 104 / 106 >

この作品をシェア

pagetop