カタストロフィ


「殺したの?」

知らず知らずのうちにユーニスも声を潜めていた。
鋭い囁き声に、ダニエルは笑いたいのか泣きたいのかわからない顔で答えた。

「残念ながら殺せなかった。騒ぎに気付いた使用人と、不運なことにたまたま家にいた両親が揃ってやって来たんだ」

すべてが白日の元に晒されたその時の絶望を、ダニエルは無機質に語る。

「あそこで邪魔が入らなければ、僕は確実にやつを殺していただろう。でも見つかってしまった。でも一つだけ救いがあった。それまで、あの女の悪行を訴えても信じてくれなかった父上は、ようやく僕の言葉を信じたんだ」

「待って!伯爵はなぜ貴方の言葉を信じなかったの?自分の子供なのに」

「立てるようになってから僕はシェフィールド家一の問題児だったんだ。行儀が悪く大人を振り回してばかりだった僕と、教育のプロである女家庭教師(ガヴァネス)の言葉なら、誰だってあの女のほうを信じたさ。母上が常に屋敷にいるならまた話しは別だけど、あの人は基本的に療養地にいるからね」

こともなげに話しているうちに、ダニエルの瞳を染めていたどす黒い感情は薄まった。
しかし、代わりに冷め切った眼差しが、ゆったりと流れる河に向けられる。

「こういう事があったから大人は嫌いなんだ。誰も僕を助けてくれなかった。特に女家庭教師(ガヴァネス)なんて最悪だ。パブリックスクールに行きたくない理由だってわかっただろう?家格は中の中、しかも僕は三男だ。これでどうやって身を守れと?」

「貴方がそう思うのも無理はないわ」

間髪入れずにそう言ったはいいものの、後に続く言葉は見つからなかった。

いつの間にか青空の色が和らいでいた。
ほんの少しだがオレンジが混じり始めた空を眺めながら、ダニエルが沈黙を破る。

「誰も信じられなかったけれど、君は違う。ユーニス、君だけは信じたい」

〝信じられる〟ではなく〝信じたい〟という言葉に胸を締め付けられ、ユーニスは唇を噛みしめた。

そして必死で捻り出した言葉たちは、半ば自分に言い聞かせたものだった。

「ダニエル、突出した人間というものは平均的な人間に比べると叩かれやすいのよ。貴方の場合はその活発さが、私の場合は美貌が、人生の転落のきっかけだった。少し昔話に付き合ってくれるかしら?」

「もちろん」

「前にも話した通り、私は早くに両親を亡くした。そして母の妹にあたる人に引き取られたの。それなりに裕福だった男爵家の令嬢から、労働者階級(ワーキングクラス)の養女への転落もきつかったけれど、そんなことよりはるかに嫌だったのは伯父が色目を使ってくること。最初はいやらしい事を言ってくるだけだったのが、どんどんエスカレートしていって、私に体を許すよう言い始めたわ。抱かせないなら家から追い出すって」

「……どうなったの?」

ダニエルの視線が空から自分に移ったのを感じ、とっさにユーニスは川を見つめた。
あの澄んだ碧い瞳を真正面から見るのが怖かったのだ。

「何回かはうまくかわしたわ。ある日、お使いに行った先で貴族の男性が落とし物をしているのを見たの。走って届けたのだけれど、なんと落とし主は父方の叔父だった。存在は知っていたのに会ったことがなかった姪に会えてとても嬉しいって、叔父は大袈裟に喜んでいたわ。紳士的に振る舞ってはいたものの、叔父の私を見る目が母方の伯父と一緒だと私はすぐに気づいた。多分その頃からかしら、自分が飛び抜けた美貌の持ち主だと自覚するようになったのは」

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