カタストロフィ


その言葉の意味を理解することを、咄嗟にユーニスは拒んだ。
しかし淡々としたダニエルの声は、思考停止しかけたユーニスを現実に引き戻した。

「もう僕は無垢な身体ではない。7歳から8歳にかけて、女家庭教師(ガヴァネス)に陵辱され尽くした」

はっきりとそう告げられ、ユーニスは衝撃のあまり呼吸をするのも忘れてダニエルを見つめた。
ミルク色の肌も、大粒のアクアマリンのような瞳も、さくらんぼ色の唇も、すべてあどけない子供のものである。
どこをどう切り取って見ても子供でしかない彼に、そのような災厄が降りかかった事がユーニスには信じられなかった。

否、信じたくなかった。

「あの女は女家庭教師(ガヴァネス)の地位を利用して、自分の性的嗜好を満足させていた。最初は、何かしら言いがかりをつけて僕を叩いていただけだった。でもそれだけじゃ満足出来なくなって、僕を鞭で打つようになった。痛みに悲鳴をあげたり泣いたりすれば相手が喜ぶから、次第に僕は何をされても、どれだけ痛くて苦しくても我慢出来るようになっていった」

ゆっくりと空を流れていく雲を眺めながら、ダニエルは言葉を続けた。

「反応しないようにすれば、飽きるはず。そう思っていたんだ。結果から言うと悪化したよ。あの女は僕の嫌がる顔、苦痛に歪んだ顔を見たかった。ただ痛めつけるだけじゃダメなら違う手段を取ればいいと気付かせてしまったんだ。ある日、きっかけはなんだったか忘れたけど、僕は服を脱がされた。また鞭打たれるのかと思ったけど違った。その日は、やつも服を脱いだんだ」

あまりのおぞましさに、背筋が凍りつく。
口元を抑えたその時に初めて、ユーニスは自分が吐き気を堪えているのだと気づいた。

「〝今から私の言う通りにしなさい。指示に逆らえば、貴方の足の爪を剥ぎ取ります〟ペンチを片手に気色悪い笑みを浮かべて、あの女はそう言った。爪を剥がされるのが嫌で、僕はあの女が全身に舌を這わせてくるのに抵抗出来なかった。あの女の股ぐらに顔を突っ込んだ時も思ってもいない〝気持ちいいです〟を言わされている時も、心にあるのは屈辱ではなく恐怖だった。こうして、僕は穢らわしい存在に堕ちた」

「ダニエル、私、なんと言っていいか……」

貴方は穢れてなどいない。
本当に穢らわしいのは、無垢な子供を辱めたその女だ。
貴方は何も悪くない。

言葉にしたい感情があまりに多くて、ユーニスは喉を詰まらせた。

「そんな風に身体を好き勝手される事が何回か続いて、ある日僕の中にあった何かが死んだ……衝動的に、あの女を階段のてっぺんから突き落とした」

急に彼の声のトーンが落ちる。
ダニエルの瞳は虚ろなものからどす黒い感情に支配されたものにすり替わった。
初めて出会った頃のような年齢に似つかわしくない大人びた微笑を浮かべ、彼は囁いた。

「足をくじいて動けなくなったその女に跨り、僕はタイを解いてそいつの首を絞めた。殺そうと思ったんだよ」

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