不器用主人の心は娘のもの

初めての…

 その日の朝、彼は気持ちが落ち着かないまま、何とか仕事をこなしていた。

 食事を摂り終えると、そわそわとしたまま支度をし、娘の元へと向かった。


 執事姿の自分の膝に座らせて食事をさせている娘を、彼はぼんやりしたまま見つめる。

(早く笑ってみせてくれ…)

 彼は彼女のことで頭が一杯になっていた。

 娘は食事を終え水を飲み、ほんの一息。
 彼は突然、吸い寄せるように自分の膝にいる彼女の顎を、白手袋をした手で自らに引き寄せる。

 そして目をそっと閉じ、その唇に自らの唇を重ねた。

「…!!」

 彼女は目を丸く見開いたまま。

 自分でも何をしたのか分からない。
 彼はとうとう、執事の姿で彼女に口付けてしまったのだった。

「…テイル…様…?」

 彼女が呟くような小さな掠れ声で彼に問いかける。

 もうどうにか成りそうだった。
 彼はすぐに膝の上の彼女をそばに下ろして立ち上がり、早々に部屋を出ていった。


 先ほど娘に触れたばかりの唇は熱く、白手袋をしたままの片手で押さえてもまだ感触が残っているよう。

 本当に何ということをしたのか。
 今の自分は『屋敷の執事長』。彼女は買われてきた『屋敷の主人』のもの。

 両方自分であったとしても、『執事長』と『主人』では立場が違う。

 おまけに彼女の気持ちを無視し、執事の姿でしてしまったのだ。
 今まで何人もの者たちが彼に言い寄ってきたが、自ら口付けたのは初めてだった。

(…こんなことは今までなかった…私は一体なぜ…)

 彼は一人自室で混乱し頭を抱えたまま、珍しく仕事に追われて一日を過ごした。
< 20 / 58 >

この作品をシェア

pagetop