孤高の脳外科医は初恋妻をこの手に堕とす~契約離婚するはずが、容赦なく愛されました~
血腫からの出血の吸引処置に時間を要したのもあり、オペは一時間十五分かかった。


「創部の処置、お願いします」


私を見ずに指示して、手術台から離れていく霧生君の背中は、いつになく疲労の色が濃い。
私は創部保護の処置をして、急いで準備室に戻った。


霧生君は、洗面台の前に立っていた。
ザーッと水を出したまま、台に両手を突いてこうべを垂れている。
私は胸元でスクラブを握りしめてから、意を決して彼に歩み寄った。


「霧生先生」


驚かせないよう、遠慮がちに呼びかけたつもりだけど、霧生君はビクッと肩を震わせる。


「お疲れ様でした」


肩越しに振り返った彼にぎこちなく笑みを浮かべて、自分も隣の洗面台に立った。
私が水を出すのと入れ違いで、彼は自分の方の水を止める。


「……余計な手間かけさせて、ごめん」


先程のミスを気にしてか、ボソッと歯切れ悪く謝罪を口にした。
それきり黙って、洗面台から離れていく彼に、


「私こそ、ごめんね」


私は手を洗いながら、声を張った。
鏡越しに、彼がピタリと足を止めたのが見える。


「私が器械出しに入ったせいでしょ?」


自分の手元に目を伏せ、質問をぶつける。
少しの間の後、背後で小さな溜め息が聞こえた。


「違う。僕が未熟なだけだ」


自嘲気味な返事を聞いて、私は鏡に目線を戻した。
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