君しかいない
 一旦落ち着いてもらおうと椅子から立ち上がりカウンター内から出ていく。男性の手元にナイフが握られていることに気づいた。

「君が僕を好きだと言った。だから僕は君以外の女に見向きもせず、いつも傍で見守っていたのに。僕の気持ちを踏みにじり結婚する? そんなこと許さない、他の男のものになるくらいなら今ここで僕が……」
「あ、あなたなんか知らない。好きだなんて言ったことない」

 ナイフの先はわたしに向けられている。後退りしながら頭をフル回転させたけれど、こんなに近距離の状況では逃げられそうにない。

「きゃあぁぁっ」
「うわぁぁ、逃げろ!」

 一緒に受付勤務をしていた同僚や、運悪くこの場に立ち会ってしまった人達から声が上がった。
 周囲が騒ぎ始め警備員が駆け寄る、しかし男性はフラリと身体を揺らし周りを見渡した後、意を決したようにわたし目がけてナイフを振り上げた。

「心配しないで、僕もすぐに後を追うから」
「やっ、成……瀬ぇ」

 足が竦んで動けない。逃げる術もなく、この場に成瀬は居ないし他にわたしを守ってくれる人も居ない。
 わたしは黙ってこの男性に殺されるしかないのだろうか。
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