囚われの令嬢と仮面の男
「そんなに走ると転ぶわよ」と柔らかい声で言ってくれた忠告も虚しく、私は転んで膝を擦りむいた。

「あらあら、大変」

 ママは手にしていたハンカチを血の滲んだ個所に当てて、「痛いの痛いの飛んでいけ」とおまじないをしてくれた。

 どうしてかはわからないけれど、あのときの光景が無性に懐かしい記憶として呼び起こされた。

 なぜママは私を置いて出て行ったの……? 私がママにすら愛されていなかったから?

 アレックスと並んでママの微笑を見ていると、目の端に涙の滲む気配がした。

「今の姉さんによく似ていますね」

「……え」

 虚をつかれてアレックスを見つめる。「そうかしら?」と返事をしていた。

「ええ。ゾッとするほど」

 元から漂っていた部屋の静寂が戻り、ふと我に返った。

 さっきまでなにをしようとしていたかを思い出す。すぐさま行動に移すことにした。

 私は足元に視線を下げ、踏み台になる物を探した。しかし都合良くそんな台など見つからず、仕方なく書斎デスクとセットになった椅子を動かすことにした。

「姉さん?」と弟がキョトンとした顔で首を傾げている。
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