島の家を相続した!!

火夫の煙草が目に染みる

潔い程に清々しい寒さに
息が凍る島の朝。

本来なら葬儀の日に
『骨上げ』をするのが、
セオリーだけれど、
何故か
朝一番に『骨上げ』をしている。

というのも
叔母の遺体を焼いたのが
朝一番だからだ。

新年明けての幕の内も過ぎて、
焼き場の火夫も正月休みを
交代にとっているとかで、
人が手薄。
しかも
焼き釜を新年度で新調する
からと、
昨日遺体を
焼き場に置いたままに
一旦帰って、
朝、
焼き釜がサラピンに変えられたと
同時に叔母は焼かれた次第。

火夫いわく、
「いやあ、
どない徳をつんだらぇ、サラの
釜で1番に焼いてもらえる
かのう。なげぇことやっとる
だども、わーも、
サラで逝きたいもんなぁ。」

だとか言う。
どんな話なんだと、引きつつ
思う。

まっさらな釜かあ。

確かに、
早朝の火葬場で見る、
真新しい艶光りの蓋とかは、
本当にピカピカで、

どこか無駄な程に
爽やかに感じた。

ピーヨロロロ。

トンビの声も良く響いて、
火夫の人体説明も、
どこか呑気だ。

島の火葬場は、
空気も澄んで眩しい太陽の光が
照らす、緑山の端が海沿い。

目の前の海のお陰で、
ありがたいことに死臭など
全くなくて、
潮の香りさえする。

ピーヒョロロロ。

朝と昼にとトンビが鳴く。

島のご近所の世間話は
最初が
「今日の海の色、綺麗なあ。」
から始まる。

都会では決して
聞くことないトンビの声と、
こんな台詞が
島独特の平和さを
波のように打ち寄せて
感じさせる。

そんな
叔母も、
島民らしくというか、
海で亡くなったわけで

骨壺の蓋をコチンと開けた。



昔から島では
海で亡くなると、
決まって此の火葬場のある
波打ち際に打ち寄せてくると
聞いた。

昔は大型船で亡くなると、
水葬とかしたらしいが、
今は海上自衛隊でも凍らせて
丘に連れ帰る。

水葬とは別に船葬などもあって
浜で船が打ち上がると、
疫病対策の為に
海に船ごと返したとも聞く。

ともあれ、
島でも水葬は殆んどしない。
ましてや現代では違法だ。

だからなのか、
死して律儀にも
島のご意見番が揶揄するように
火葬場近くの海には、
焼いてほしくて
土左衛門が集まるのだろうか。


ピーヒョロロロ。

火夫の人体説明が止んで、
骨を拾い終わった。

親戚達は
自家用車で
初七日法要をする菩提寺に
向かう算段。

あいにく
定員に溢れた
私と父はタクシーを待つ間、
緑の額縁に切り取られた海を
眺めつつ、
火葬場で一息付いていた。

徐に、

「先生、体しっかりしとんど。」

さっきまで
叔母の真っ白な骨で
人体説明をしていた火夫が
くゆる煙草を片手に
近づき
私たちに呟く。

「叔母を知ってましたか?」

「わー、教え子らあよぉ。」

そうかと納得する。
やはり叔母は島の有名人なのだ。

そして少し思う。
かつての恩師を焼く教え子と、
かつての教え子に焼かれる気分は
どんなものだろうか?

「骨、しっかりしとんだぁ。
ケガひとつしとらんだぁ?」

焼けた骨を見れば
薬を常用していたことや、
食が細くなっていたことも
解るという。

「そうですね、100まで
生きると思ってました。」

火夫の持つ
煙草から煙が
一本たなびくのを認めると、
それが火夫自身の
弔い火なのだと腑に落ちる。

なら
サラピンの釜で1番に焼く姿を
教え子に見せれて良かった。と、
どこか安堵した。

狭い島の中で、
死に様でさえ先生であり続けた
叔母の最後までの
矜持。

ピーヒョロロロ

トンビの声と
火夫が吐く煙が

幕の内明けの空に登っていく。


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