大学教授と学生の恋の行方は‥
■第8話 嫉妬
月日は流れ、順子は医学部5年生になった。この頃になると、もう誰も宮本主任教授と順子の話をしなくなっていた。そしていつか、みんなの記憶から完全に忘れ去られていくのだろう。

順子も宮本主任教授の講義を受けていても、胸が痛むことはなくなった。いや、正確には麻痺しているだけなのだが、順子自身そう思い込もうとして過ごしている。

「大槻さん、あのさ、一緒に帰らない?」

そんな中、最近順子の周りに現れる男子生徒がいた。彼の名前は国見。順子と同じく医学部5年生だ。
順子は元々目立たない存在ではあったが、宮本主任教授と付き合うようになってから垢抜けし、1人の女性として成長することができた。また、両親が医師ということもあり、立ち振る舞いにも美しさがあった。そうなると、周りの男子生徒も順子に注目してしまうのは当然だろう。

そんな中でも、成績優秀な国見が他の男子生徒を押しのけて、順子に声をかけているというわけだ。順子は知らないが、実は同級生に人気があった。

「国見君」
「ダメかな? 一緒に参考書でも買いに行けたらと思ったんだけど」
「……ううん、一緒に行こう」

実は医師国家試験に向けて忙しく厳しい学生生活で、学生同士で恋愛に発展するのは珍しいことではない。ただ医学部学生ということで自らを律し、また両親や大学教員の目もあるため、あからさまな恋愛にまでは発展しないというのが医学生の恋愛スタイルといえる。

実は国見は、順子が医学部1年生の時から気になっていた存在だ。初めは、あの宮本主任教授と付き合っていると噂をされている学生がどんな人なのかが気になるぐらいだった。
けなげで献身的で、時には幼さが残る子どもっぽい感情を露わにする順子。そんな順子を見ているうちに、好きになって行ったのだ。だが、順子は宮本主任教授しか見ていない。

国見はこれまでモテ人生を歩んできた人物でもあるので、100%見込みのない相手に行く勇気はなかった。だが去年のあのパーティで順子がやらかし、二人の関係がこじれた。その時も、国見は少し離れた所から事の成り行きを見ていたのだ。そして、そろそろ心に隙ができてきたと思った5年生になってから、声をかけたというわけである。

国見の予想は当たっており、順子の心の中にはまだ宮本主任教授がいたが、別れてから1年が過ぎ、別の物にも目を向けなければいけないと思っていた。そんな時に近寄ってきてくれた国見は、恋愛色が強いわけではなく、一緒に勉強をしようと言ってくれる。ちょうどいい距離感に、順子も心を開きやすかったと言えるだろう。

次第に順子と国見は、国見の努力によって、一緒にいる時間が増えていった。大学内でも、帰り道でも、休日でも。そうしているうちに、周りからは2人が付き合っているという風に見られるようになっていった。

そんなある日。
講義を終えた宮本主任教授は、教室に忘れ物をしたと思い戻っている時、少し離れた所で順子と国見が楽しそうに話している姿を見かけた。
宮本主任教授は慌てて物陰に隠れる。隠れる必要などどこにもないのだが、隠れてしまったものは仕方がない。

講義をしている時も、最近は順子の隣の席には国見が座っていた。そんなことを思い出しながら、2人を見る。順子は、以前の宮本主任教授に向けていたような笑顔を、国見にも向けていた。

「……」

チリッと胸が痛む。宮本主任教授は自分の胸を抑えた。
順子が同世代の男子と仲良くしていることはいい事のはずなのに、嫉妬をしていることに気づく。

別れて1年が過ぎ、その間、順子とは2人で話したことがない。会話もしたことがない。講義中も手を上げないし、講義の話もしていない。
順子が1年生の頃から、あんなにも頻繁に主任教授室に来て質問をしていたのに、付き合ってからは自分の休みの日には必ず順子が家に遊びに来ていたのに、もう来ない。

あのパーティでの出来事で、宮本主任教授自身が順子に別れを告げたのだ。自分で、自分の言葉で、彼女を突き放した。だから、嫉妬をする権利など、そもそもないはずなのだ。それなのに――

宮本主任教授は、足早にその場を立ち去る。
順子が好きだというから付き合っていただけだ。順子には愛が必要だと思っていたから愛していただけだ。そう思っていたのに、なぜこんなに苦しくなるのだろうか、と答えを知っているのに、宮本主任教授走らないふりをする。

その日の夜。
仕事を終えて、老犬しかいない自宅に戻る。リビングには、順子と付き合う事になった、あのファンシーショップのクマのぬいぐるみが置かれていた。
彼女がこの家に置いて行ったものだ。別れてから1年が過ぎても、宮本主任教授はそのぬいぐるみを捨てられずにいた。

「……私は何て情けない男なんだ」
「くぅ~ん」

老犬が宮本主任教授の足元にすり寄ってくる。宮本主任教授は老犬をギュッと抱きしめたのだった。
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