エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた
「昇進試験に合格して本社への異動が決まった。この際、麻衣子さんと婚約しようと思う」
「はっ?」

 開店前の店へやって来て、開口一番発した隼人の言葉に崇人は目を丸くした。
 突拍子の無い言動は何時ものこととはいえ、何を言い出すのだと目を瞬かせる。

「麻衣子さんは婚約を了承したのか?」
「ああ。この前、この店に来た後に確認をとった」
「は? この前って、麻衣子さんめちゃくちゃ酔っていなかったか?」

 アルコール度数が高めで甘めに作ったカクテルを気に入った麻衣子は、隣に座る隼人に凭れ掛かりうとうとしていた。
 その状態の彼女に婚約の話を振っても、話をした記憶すら残っているのか怪しい。

「覚えているか分からないから録音はしてある」

 ニヤリ、と口角を上げる兄を見て、隼人は背筋が寒くなった。
 もしや、若い女性受けする甘めでアルコール度数が強いカクテルを注文したのは、このためだったのか。

「うわぁ、やり方がキモイし卑劣だ! じゃあ、麻衣子さんの実家への挨拶は? 放任主義のうちの親とは違い、いきなり婚約したいと言われて、はいそうですか、という親はあまりいないだろ?」
「婚約を了承してもらった後、連絡をとって義母さんとはメル友になった。勿論、連絡は麻衣子さんからして、彼女を介抱する心優しい彼氏として気に入ってもらえたよ」
「……兄貴」

 酔っぱらった麻衣子はきっとこのことを覚えてはいない。
 手を回して麻衣子の逃げ道を塞いでいく隼人の手腕に感心するどころか、兄の斜め上の優秀さにドン引いた。

 これでは須藤麻衣子は逃げられない。
 気が付けば、完全に逃げ道を塞がれて結婚のゴールしか無いという状況へ、追い込まれるだろう。

「麻衣子さんと婚約する前に、両家で会食したいと考えている。此処を貸し切りに出来るか?」
「分かった。頑張って料理を作るよ……」

 会食の日は厨房から出られないかもしれないと、死んだ魚のような目をした崇人は近い未来、義理の姉となる彼女へ心の中でエールを送っていた。




 お試し期間終了前に付き合うことになった麻衣子を完全に手に入れるため、隼人は外堀を埋め逃げ道は全て塞ぎ終わったのはさらに二か月後のこと。

 社員達の前で斎藤課長の本社への異動を発表する坂田部長の隣に立ち、別れの挨拶をする彼の口から飛び出した「須藤麻衣子との婚約宣言」で社員達は騒然となった。
 悲鳴を上げた女子社員の隣で、誰よりも驚いていたのは麻衣子本人。
 婚約宣言後、唖然とした麻衣子は口を開けて隼人を見詰めていた。

 サプライズ過ぎる発表を聞いた社員達が盛大な拍手を送る。
 周りからの嫉妬と羨望、祝福と興味の視線が集中する恥かしさで、麻衣子は俯いて両手で顔を覆った。


 栄転と婚約というダブルの祝福を受けた隼人は、引継ぎ作業を終えて定時を過ぎた頃に麻衣子を迎えに行った。

 婚約宣言をした甲斐もあり、社内でも堂々と麻衣子と話せることが嬉しくて斎藤課長モードでも自然と顔がゆるむ。
 疲れた顔をしている麻衣子の荷物を持ち、周囲の注目を浴びながら駐車場へ向かった。

「今日のは、どういうことですか」

 車の助手席へ座った麻衣子は完全に拗ねた口調で問う。

「今すぐ入籍したところだけど、麻衣子さんは手順を踏まなきゃ嫌だろう?」
「で、でも、いきなり婚約だなんて、あんな場面で発表するせいであの後質問攻めにあって大変だったから。実家にも連絡していないし、私も心の準備があるの」

 怒りと喜びが入り混じった複雑な表情を浮かべる麻衣子を見て、今日の発表前にロマンチックな場所でプロポーズすればよかったかと、少しだけ反省した。

「実家は、麻衣子さんの実家には俺が連絡しておいたから」
「ええっ? いつの間にー!?」

 にっこり笑って答えれば、麻衣子は驚愕の声を上げた。

「本社へ行くことが決まって、麻衣子さんに悪い虫がまとわりつかないか不安だったんだ。皆の前で発表しておけば、麻衣子さんに近付かないだろ? 麻衣子さんといつか生まれる子どものために頑張るよ」

 運転席から身を乗り出した隼人は、助手席に座る麻衣子に覆いかぶさる。

「好きだよ」

 低く甘く囁けば、不機嫌な顔をしていた麻衣子の頬が赤く染まる。

「わ、私も、好きです」

 しどろもどろで答える彼女は知らない。

 先ほどまでは怒っていたのに、好きだという言葉一つで恥じらう麻衣子は本当に可愛いということを。
 完璧な斎藤課長の仮面をかぶっていた隼人の心を揺さぶり、彼女が居なければ狂うだろうと思えるほど夢中にさせていることを。

 スカートの上から麻衣子の太股を撫で、隼人はぷくりとして桜ん坊みたいに色付き美味しそうな唇をパクリと食んだ。

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