天敵御曹司はひたむき秘書を一途な愛で離さない
夜の街
 夜の街を穂乃果はひとり携帯を握り締めて歩いている。兄との衝突の後、頭を冷やそうと家を出て、あてもなく彷徨っているのだ。
 いきなり見合いなんて馬鹿にしている、ありえないと頭に血が昇って激しい言い合いになった。
 でも今、夜の風に少し頭が冷えてみると、まるっきり理不尽だとも言えないという考えが頭に浮かんでいる。
 これから二ノ宮不動産の未来を背負って立つ兄が穂乃果の結婚相手を気にするのは当然だ。それが自社の優秀な社員だったら安心だと考えるのも理解できた。
 穂乃果だってなにも考えずにそうする方が家族を安心させられることくらいはわかっている。拓巳と別れを決めた時に思い描いてみたりもした。
 もう自分から誰かを好きになることはなさそうだ。だから誰か、家にふさわしい人とでも見合い結婚するのかな。
 でも、今それは無理だということがよくわかった。
 兄に紹介された楠木はとてもよさそうな人物だった。兄が言う通りの人ならば、穂乃果はなに不自由ない結婚生活を送ることができるだろう。
 それなのに、そんなのは絶対に嫌だと思っている自分がいる。
 拓巳ではない誰かと結婚して生涯をともにするなんてありえない、嫌だと穂乃果の心が叫んでいる。
 夜の風が吹き抜けて頬がやたらと冷たかった。いつのまにか穂乃果は涙を流していた。頭の中は、拓巳のことでいっぱいだった。
 今すぐに彼に会いたかった。力強い腕に抱かられて、彼の香りを胸いっぱいに吸い込んで、彼の愛に満たされたい。
 ぼんやりと穂乃果が夜の空を見上げた時、手の中の携帯がブブブと光る。
 画面を確認すると、拓巳からの着信だった。
「……はい」
 通話ボタンを押して出ると、向こう側からは、やや固い拓巳の声。
《ニノ宮、遅くに申し訳ない。明日の便が一本遅い便に急遽変更になったんだ。先方にはスケジュール調整の依頼は俺からしておいたが、集合時間を一時間遅らせる》
 業務連絡のようだ。
「……わかりました。ありがとうございます」
 直前まで泣いていたことを悟られないように、穂乃果はなるべく普通通りに答える。
「……おつかれさまです」
 そう言って電話を切ろうとすると、それを拓巳に止められた。
《二ノ宮、……なにかあったのか? 声が変だ》
 その言葉に、彼からの電話で一旦止まっていた涙が、また穂乃果の目から溢れて出す。
 たったひと言、"なにもない、気のせいです"と答えて電話を切ればいいだけなのにそれすらもできなかった。
 どうして彼はいつもこうやって、相手の変化に気が付くのだろう。心配してくれるのだろう。
 どうして彼は……!
《大丈夫なのか? …………穂乃果?》
 久しぶりに名を呼ばれて、漏れ出る嗚咽を止めることができなかった。溢れ出る想いを自分の中だけに留めておくことももはやできそうにない。
 震える唇を開いて穂乃果は声を絞り出した。
「拓巳さん……! 会いたい」
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