もふもふ、はじめました。

誘惑

 ふわっと、彼から石鹸の良い匂いがしたから。

 きっと。ここに来る前に、シャワーを浴びてきたのかなって思った。寒い外気の中で、彼の体が冷えていないかと急に心配になった。

「かちょう、吉住課長……」

 ぎゅっと抱きしめられて、思いが昂ぶり舌足らずになった口調の私を見下ろして、背の高い吉住課長は目を細めた。

「何だ」

「あのっ……今日は寒かったですし、体冷えてないですか?」

「そうだな……結構な時間を、外で待たせてもらったからな」

 苦笑して、私の頭の上にキスをする。

「お茶っ……淹れます。あたたかいの」

「僕はこのままの方が、温められるんだが」

 首を傾げてまた抱き締めようとしたので、私は腕を突っ張った。お酒の回った頭では、彼から離れる上手い言い訳も思いつかない。

「やっ……その……私。焼き鳥屋さんに行って来て、絶対。お酒くさいですし。お風呂に、入りたいですっ」

「確かに。美味しそうな匂いがするな」

 ふむと頷くと、吉住課長は触れるだけのキスをすると、やっと私の身体を解放してくれた。

「あ、あの……すみません……勝手に誤解してて……」

「如月は、悪くない……良いから。お風呂に、入っておいで」

 ぽんぽんと優しく頭を叩くと、吉住課長はベッドの上に腰を落ち着けた。ポケットからスマートフォンを取り出すと、何やら操作している。

 私はその様子を見てからほっと安心してコートを脱ぐと、壁の操作パネルで湯船にお湯を張る。

 難しい表情をしたままの吉住課長は、首を何度か捻って悩ましい様子を見せていた。
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