恋がはじまる日
 こんないつもと変わらない、些細なやり取りが楽しくて、すごく心が温かくなった。

 そしてこの時の私は完全に浮かれていた。
 浮かれていたが故に、足元の段差に全く気が付かなかったのだ。その段差に、私は見事に躓いた。


「きゃあっ!」

「おい!」


 気が付くと目の前は真っ暗で、一瞬なにが起きたのか分からなかった。

 顔を上げると藤宮くんの顔が目の前にあって、そこで初めて、私は彼に抱きしめられているのだと理解した。


「はっわわ!?」


 躓いて飛び込んだ先は、藤宮くんの腕の中だった。


「大丈夫か?」


 早く離れなきゃいけないのに、身体がうまく動かない。頭もうまく働いていない気がする。あ、なんだか優しい落ち着くいい匂いがする。ちょっと癒されるかも…って!なにしてるの私!


「おい、佐藤?」

「あ、ご、ごめんなさい!」


 私はすぐにでも身体を放したかったけれど、足首の痛みでうまく動けなかった。


「ご、ごめんなさい、今離れるので!」


 ひえー!藤宮くんだって好きでもない女の子にくっつかれていたら嫌だよね。嫌な思いはさせたくないのに、うまく足が動かない。こんな時に急に足が痛くなるなんて。

 私が焦っていると、彼もそれに気が付いたのか、なんだか笑われたような気がした。


「ほんと、そそっかしいな。ゆっくりでいい」

「え、あ、ありがとう…」


 やっぱりなんだかんだ優しい。困っていると手を貸してくれる。誰にでもそうなのかな、私だけに優しくしてくれているわけじゃないよね、きっと。


 藤宮くんに支えてもらって、私は廊下へと出た。


「あ、ありがとう」

「一人で戻れるか?」

「う、うん!」


 彼の顔を見るのが恥ずかしくて、私は慌ててみんなのところに戻ることにした。顔はまだ熱いままだ。

 しばらく藤宮くんの顔、見られそうにないよ…。


 それから彼の腕の中を思い出しては、私の心臓はうるさく高鳴るのだった。

< 129 / 165 >

この作品をシェア

pagetop