お見合い仮面夫婦の初夜事情~エリート裁判官は新妻への一途な愛を貫きたい~
 返事をしようか迷ったが、先を急いだ方がいいと判断する。意外と大知さんが先に帰っているかもしれない。

 完全にではないが日は落ちていて辺りは薄暗い。

 わずかに息を切らして官舎にたどりつき、敷地内に入ってやや歩調を緩めたそのときだった。

 駐車場から建物に続く通りで、会話している男女のシルエットが目に入る。すぐに姉と大知さんだと気づいた。ちょうどいいタイミングだったみたいだ。

「逢坂さん?」

 駆け寄ろうとしたところで私とは反対の方向から声がかかり、大知さんと姉はそろってそちらに向いた。ふたりに近づいたのはスーツを着た中年の男性だ。

 おそらく大知さんの職場関係の人だろう。男性は興奮気味に大きな声で大知さんと姉に話しかける。

「どこの美人さんかと思ったら奥様ですか? いつもお世話になっています」

 私の頭は真っ白になり、目を見開いて足を止めた。男性は定番の挨拶を交わし、笑顔で大知さんと姉を見つめている。

 この状況なら勘違いしてもおかしくはない。

 大知さんか姉がなにか返す前に、男性は早口で捲し立てていく。

「自慢の奥様ですね。逢坂さんも男前ですし、こんな綺麗な奥さんなら 早く帰りたくなるでしょう」

 本当ならここで私が間に入って、彼の妻として挨拶するべきなのかもしれない。今、もう少し彼らに近づいて声をかければ済む話だ。

 けれど、それはできなかった。逆に気配を消してそっとその場を離れる。まだ会話をしているみたいだが、大知さんや姉がなんて返しているのかまではわからない。
< 74 / 128 >

この作品をシェア

pagetop