総長は、甘くて危険な吸血鬼
【side叶兎】
差し出された身分証を見つめる。
そこに刻まれた名前は──《一ノ瀬時雨》
何度見ても同じ、紋章も間違いなく本部直属の証。
「……羽雨が……一ノ瀬、時雨……?」
本部で麗音さんの補佐を務めているという若い吸血鬼。
直接会ったことはないけど、名前だけは知っている。
正直、まだ理解が追いついていなかった。
「……俺の仕事は、後継者候補の叶兎の動向を麗音さんに報告すること。それを、判断材料にする為に。」
淡々とした声でそう告げた。
けれど、その奥には迷いが滲んでいるようで。
「……。」
突然の告白に、言葉が出なかった。
こんなこと、誰が予想できるだろう。
「でも……仕事とはいえ、今まで騙すようなことしてごめん。怒って当然だよね…」
俺はゆっくりと首を横に振った。
「……別に、怒ってはない。」
驚きはしたけど、不思議と怒りは込み上げてこなかった。
それよりも…肩の力が抜ける感覚。
騙されていたとはいえ…麗音さんの指示なら仕方ないだろう。
何より結果として自分は後継者として認められた。
その報告が羽雨──時雨の手を経たものなら、むしろ感謝すべきなのかもしれない。
……ただ、対等な仲間だと思っていたからこそ、胸が少しだけ痛んだ。