仮面夫婦のはずが、怜悧な外科医は政略妻への独占愛を容赦しない
この時、大知は二十歳。当時は大学生で、父親に連れられこの場を訪れていた。
杏は急に現れた男性に驚き、思わずハッと息をのんだ。顔はハッキリ言って怖いし、背も杏の倍はありそうなくらい大きい。まるでライオンに睨まれた、草食動物の気分だった。
「知ってるか? 魚も人間の顔を見分けられるって」
だが予想に反し大知は穏やかな口調で杏に声をかけた。しかもいきなり博識を披露され、杏は目を丸くしている。
「そう……なんですか?」
「あぁ。だからこいつらも、餌をくれる人間と、そうじゃない人間の区別ができる。最近の研究結果でわかったことらしい」
鯉を見つめ、小学生の杏に優しく語り掛ける。見た目とは裏腹に、すごく心の温かい人だと、その時感じたのを覚えている。この数時間、杏はずっと一人ぼっちで寂しかったということも大きいだろう。
それから二人で他愛もない話をしていた。大知はまだ幼い杏の話を真剣に聞いてくれたと思う。そのとき彼が今医学生だと知った。
すると突然、大知がなんの前触れもなく、杏の顔を覗き込んできた。
「顔が青白いけど、具合が悪いのか?」
「え?」
そしてすっと杏に手を伸ばすと、首の動脈に触れた。
「ひゃっ」
杏は咄嗟に肩をすくめる。
「体も火照ってるし、脈も少し速い。熱が出る前兆かもしれない」