Dear my girl

譲れないポジション 1


 梅雨が明ければ、前期試験が始まった。
 長さは一週間ほどで、テストが終わった学生から順次夏休みに入っていく。

 涼元一孝は、大学の購買部に立ち寄った。学校指定のレポート用紙を購入するためだ。

 大学生の夏休みは長く、それゆえ、課題も多く出される。それ自体はまったく問題ないのだが、教授によっては手書きのレポートでなければ受け付けないことがある。一孝が履修している講義がまさにそれだった。

 このデジタル社会で何をと思ったが、転載防止だと聞いて納得した。
 他人の論文をコピーペーストして提出するなど理解できないけれど、不正をする学生が後を絶たないからこのような措置に出たのだろう。

 パソコンを使ったほうが当たり前に何倍も早いので、ものすごく面倒以外のなにものでもない。梅雨明けの暑さも相まって、一孝はイライラとレポート用紙を手に取った。

 その時、

「涼元くん」

 いきなり横から声をかけられて、一孝は肩を揺らした。現金なもので、この声を聞くと、いつだって荒れていた心が穏やかになる。

「レポート用紙、睨みつけてどうしたの? ほしいものがなかった?」

 沙也子が小首をかしげて見上げてくる。

 ひらひらした半袖から覗く、白い腕に釘付けになった。
 誰にも見せたくなくて複雑な気持ちになる。この暑さでは仕方がないと分かっていても。

「いや……見つけた。谷口も買いに来た?」

「ううん、のどが渇いたから。カフェテリアに寄るほどでもないし」

 ほぼ同居のような生活を送っていても、思いがけず会えると嬉しいものだった。一孝はドリンクケースに足を向けた。

「どれにする? 一緒に買ってやるよ」

「え、いいよ」

「ついでだし。俺も買うから、どこかで飲んで行こう」

 軽い気持ちで言うと、沙也子は顔を輝かせた。

 こんな何でもないことなのに、本当に嬉しそうな顔をしている。

 普段は毛が生えてるような心臓が、見えない矢に射抜かれる感覚がした。



 眩しい太陽の光がじりじりと照りつける。
 空は雲ひとつなく、真っ青な晴天だった。

 沙也子が外で飲みたいと言うので、裏庭のベンチに腰を落ち着けた。
 そばには大きなケヤキの木があり、ほどよく木陰となっていて、時折吹く風で涼しく感じる。むしろ空調のきいた室内よりも心地よかった。

「涼元くん、今日はなんのテストだったの?」

「量子力学」

「ふえ……、その得体の知れない名称だけでお腹いっぱいになる……」

 心からげんなりしている沙也子がおかしくて、一孝は小さく笑った。
 沙也子は数学の微分に相当手こずっていて、噛み砕いて教えるのに苦労した思い出だった。

「谷口は?」

「臨床心理。けっこうできたと思うんだけど……うー、でもやっぱギリギリかも……」

 自信なさげにぼやいた沙也子は、切り替えるように木漏れ日を見上げた。
 眩しそうに目を細め、それからペットボトルの蓋を開ける。
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